2015年3月28日土曜日

社会運動総会

27日の17時頃から、WSF会場で社会運動総会が開かれました。日本からの参加者のうち何人かが参加しました。

事前にアナウンスされていた場所や時間帯が変更されていたせいも若干は影響しているかも知れませんが、参加者が少なかったという印象です。それは、24日に開かれた女性集会の熱気や2011年のダカールでの社会運動総会と比べて、そういう印象を持ちました。おそらく200人くらいだったと思います。

前回のWSFチュニスは参加していないでわかりませんが、ダカールでは「アラブの春」がはじまった高揚感があったのに比べて、今回は「アラブの春」以降の混迷した中東情勢が影響していることは否めないと思います。

ダカールの社会運動総会

昨日の社会運動総会



通訳体制も不十分で、ダカールの時はFM受信機とイヤホンが配られ、英語が聞けました。しかし、今回は英語で聞こうとする人はいくつかのグループに分かれて、「ウイスパー(ささやき)」形式で、ボランティアの通訳者の英語を耳を寄せ合って聞かなければならず、断片的な情報しか入ってきませんでした。

総会の最初には、CADTM(第三世界の債務帳消しを求める委員会)のエリック・トゥーサンがスピーチをおこないました。しかし、前述の理由で内容を余り把握できないままに終わりました。


ワークショップを選ぶ際には、何語を基本としているか、どんな通訳体制をとっているかのチェックが不可欠です。社会運動総会でも、もう少しきちんとした通訳体制をとって欲しかったというのが、率直な印象です。

総会の最初の部分をほんの短い動画ですが、youtubeにアップしました。

社会運動総会・WSF2015
https://www.youtube.com/watch?v=ykzYw30gDlw




会場でのパフォーマンス

WSF会場ではいつも、さまざまなパフォーマンスが繰り広げられます。音楽、踊り、デモ行進、プラカードによる訴え、演説など、今回もいろいろと見かけました。

26日は雨ということで、ほとんどパフォーマンスはなかったようですが、27日は非常に風が強かったものの(吹き飛ばされたテントがいくつもありました)、よく晴れたので各所でパフォーマンスを見ることができました。

そのいくつかを紹介します。






ATTACのテントです


youtubeにも、短時間ですが、動画をアップしています

パフォーマンス・WSF2015
https://www.youtube.com/watch?v=nfY5LVBrjko


世界社会フォーラムは必ずしも素晴しいことだらけではない!

以下、ぼくのツイッターを転載。詳しくはまた書きたい。:世界社会フォーラム、昨日は、ボランティアスタッフが待遇改善要求のデモとストをやったということを仄聞。また、世界社会フォーラムの商業化あるいは大手企業や政府系企業のスポンサーシップに抗議するデモも。毎回のことだが、WSF自身のサステナビリティが問われている。

シリア問題の2つのワークショップ

27日は昨日の雨模様とは変わって、曇り後晴れという天候。しかし、風が昨日以上に強く、会場のテントが吹き飛ばされる場面も。

午前中は”Syrian Revolution Goes On”というワークショップに参加。主催は、「シリア革命と連帯するグローバル・キャンペーン」という団体でした。。



30分ほど遅れて参加したので、どういう運営になっているかはわからなかったが、西サハラの女性、ブラジルのBDS活動家などが発言。フランスのNPAメンバーも「フランスでは、30年以上の歴史を持つパレスチナ連帯運動ですら難しい状況。チュニジア連帯運動も非常に弱い。アメリカの侵略に反対している人々が、アメリカの空爆を批判していない。われわれは、シリア人民を殺傷しているアメリカ、フランスの空爆を批判している。」と発言しました。彼は、数年前に日本に招いたNPAメンバーの友人だとのこと。

このワークショップの基調には、非常にドグマチックな匂いを感じました。例えば、タイトルの「シリア革命は進行している」にしてもそうですが、「シリアが直面している問題は他の中東諸国と同じだ」等々が語られていたことにもそれを感じました。革命の主体となる民衆の状況がどうかについてほとんど言及されていなかったことに苛立ったのか、カナダの女性(「シリア連帯運動」というアメリカにある団体の名刺をもらった)が「昨年、シリアに3回行った。行ってみて、シリアの人々と交流すると、革命は一体どこにあるのか、と感じた。いま進行しているのが革命だとすれば、革命が民衆の生活を破壊し、民衆を殺している。シリア民衆にとって、革命は生活を破壊し、命を奪うものとしてしか考えられない。こうした現実のどこと連帯するのか」と発言したのが印象的でした。

午後はまず、エジプトに関するワークショップに参加。しかし、英語への通訳がきちんとしていなくて、一時間足らずで続けての参加を断念。

他に何かないか、プログラムをめくっていくと、午前とは別の団体が主催するシリア関連のワークショップがあったので、こちらに参加しました。同じ団体(オーストリア社会フォーラム)が主催した前日のウクライナ問題のワークショップが英語中心だったのと当事者を招いていたことで安心できると思ったからです。


このワークショップのタイトルは、”Is peace in Syria is still possible?” タイトルのつけ方がワークショップの性格を現しているのは間違いないでしょう。これには、シリアから4人のゲストスピーカーが参加。うち1人は西クルディスタンからきたクルド人。他の3人と彼とは明らかに主張が異なっていました。

おそらく反政府勢力の代表と思われるスピーカーが、政府に対する反対派の統一が必要だと訴えていたのに、クルド人のスピーカーは「自分たちは政府と反政府派との間で中立的な立場をとっている。目標はクルド人による地方政府の樹立。内戦が始まって4年経つのに、いまだに反政府派が統一を訴え、はっきりとした見通しを持っていないことは驚くべきことだ」と言いきっていました。また、コバニの戦闘でクルド人女性が自爆攻撃したことへの質問には、「なぜ自爆攻撃したかは聞いていないが、革命は女性にとっての革命でもあって、男性と女性が責任を分けあうのは当然だ」と答えていました。

おそらく主催者(に近い)大学教員らしき人が具体的な提案として、「国際的な圧力と呼応した99%のシリア民衆の団結によって、アサド政権を穏健化させ、内戦を終了するための平和プロセスを始める」ことを主張しました。その際には、アサド政権をどうするかは、将来の課題として残すことにすればいい、との主張。これにはゲストスピーカーや参加者から、質問や疑問が出されていたのですが。

午前中に発言したカナダの女性が再び発言し、「武器を置いて、政治的解決を目指して話し合うしかないと考えるが、それは可能か?」とスピーカーに質問。

反政府派のスピーカーは「40年間、政権に対して変化をもたらそうと努力してきたが、何の変化もなかった。国際的な財政的、軍事的な支援が政権を支えている。これをやめさせなければ変化は起こらないし、平和的プロセスにも入れない」と答えました。

こちらのワークショップは少なくともシリアの当事者を招いて、討論している点に誠実さを感じました。

16時30分からは社会運動総会が開かれます。

2015年3月27日金曜日

26日午前、ワークショップ報告:2016年日本で核エネルギー問題のテーマ別社会フォーラムは可能か?

このワークショップの趣旨は、2016年に核エネルギー問題のテーマによる社会フォーラムを日本で開催できないか、というブラジルの反原発運動団体からの呼びかけをもとに、その実施の課題や意義などを話し合うというものでした。(写真:ワークショップのオーガナイザー、原発いらないブラジル連合のシコ・ウィテカさん。会場風景は寺本さんの報告参照ください)
 参加者 20名弱。地元チュニジア、フランス、ブラジル、フィンランドなどから参加。とくにフランスからの参加者が多かった。簡単な自己紹介のあと、今回参加でき なくなったコリンさんからのメッセージを紹介することから始まり、冒頭、シコからワークショップの趣旨について、概略以下のような発言があった。シコ自身 の原発への関心はごく最近のもので、彼自身、この分野での活動についての長い闘いの経験も知識も持っていないと述べ、なぜ原発の問題に関心を寄せることに なったのかを語ってくれた。彼は福島の原発事故を深刻な問題と受けとめたが、他方で、ブラジル政府は福島の事故があったにもかかわらず、原発の新規建設を 進めている。ブラジルにとって日本の事故は遠い国での余所事のようなものとしてしかとらえられておらず、同様の深刻な事故がブラジルでもありうるというこ とへの危機感がない。ブラジルでは、社会運動もまた原発への関心は低く、反原発運動はきわめて脆弱で小規模なものしかない。シコは、なんとかして、福島の 経験を受けとめて反原発運動を力のあるものにしたいと強調した。また、シコは、福島原発事故以後、日本では各地に多くの反原発運動が生まれてきた。これ は、日本の私たちがどのように評価するかは別のこととして、ブラジルの反原発運動からするとかなり力強いものと感じられていることは確かだ。同時にシコ は、広島・長崎の被ばくの経験から反核運動の長い歴史もあり、日本においても反核と反原発運動が必ずしも十分な結びつきをもってはこなかったことを知って いる。彼は、今必要なこととして、原発と核兵器の双方を視野に入れた運動が必要であり、日本にはこのような運動を構築しうる可能性があるのではないかと 語った。その上で、2016年にテーマ別社会フォーラムとして核エネルギーをテーマとしたフォーラムを日本で是非開催したい。核をなくすという問題をエネ ルギーと兵器の両面から国境を越えた運動をつくる上で開催地としては、日本が最もぞましい、是非日本でテーマ別フォーラムの開催を主体的に担う動きを作っ てほしいと述べた。勿論彼自身、日本の運動がこうしたテーマ別の社会フォーラムを容易に開催できるような状況にはないことも承知した上で、あえて、問題を 投げかけて、私たち日本の参加者からのレスポンスを求めた。

日本側からは、日本における反原発運動の課題やかかえている問題(再稼動、除 染や廃炉などの被ばく労働、廃棄物処理、原発輸出など)や政府や東電による人々の分断があることなど発言があり、その後に、参加者との自由な意見交換がお こなわれた。議論の中心は、テーマ別のフォーラムを日本で実施するかどうかということよりも、原発についてどのような問題があるのか、それぞれがもってい る関心についての意見表明が大半を占めた。中でも、原発の輸出入や違法な海外での放射性廃棄物の投棄、ウラン鉱山の問題、原発労働の問題、メディアや政府 のプロパガンダなど様々な論点が出された。チュニジアからの参加者は、アレバんのようなフランス資本の影響力が強く原発開発政策が進められていると述べ た。

私個人の意見としては、世界社会フォーラムが主として第三世界の社会運動として展開してきた経緯を踏まえるとすると、先進国による原 発輸出と第三世界の輸入の問題や、廃棄物の問題、被ばく労働問題などを国境を越えた運動として構築する条件として意義があると思う。同時に、世界社会 フォーラムがこれまでも第三世界で開催されてきたことを重視するとすれば、開催地を日本ではなく第三世界の原発輸入を積極的に実施しようとしている国で開 催するという選択肢もありえる、といったことを述べた。資源開発と廃棄物の国際投棄、そして被ばく労働者の搾取といった問題は、一国内で完結するものでは ないから、国際的な連帯が必要だろう。

ワークショップの目的である日本でのテーマ別社会フォーラムの開催については、28日に木幡さんの 証言を中心とするコンファレンスもあるので、継続して議論することとなった。とりあえず、実務的なこことしては、本日および28日の参加者に、フォーラム の開催や核エネルギー問題について、今後も継続して議論に参加してもらえるかどうか打診するメールを送付し、参加してもらえる人たちで検討や議論が可能な コミュニケーション環境(メーリングリストなど)を作成して議論をすることにした。

27日夜に、ホテルアフリカでシコとともに今後の方向性について相談する会合をもつことになった。

ワー クショップには初対面の人たちも多く、しかも、英語、フランス語、日本語の通訳が必要でありかなりコミュニケーションでは大変だった。通訳で協力をいただ いた皆さんには心からお礼をします。本当にありがとうございました。28日も似たような状況になるので、ぜひよろしくお願いします。

ワークショップ終了後、木幡さんは、テレセンターでインタビューを受け、福島の現状について詳しくはなしをしました。(写真中央、右はインタビューアのジェイドさん、左は通訳の村田さん)

26日のWSF

26日は日本絡みのワークショップとして、午前中に核エネルギー問題に課題別フォーラムを日本で開催したいという提案についてのディスカッションがおこなわれました。

私自身は、このワークショップの最後の30分ほどしか参加できなかったので、詳しい報告は他の方にお願いしたいと思います。写真で雰囲気だけでも感じて下さい。

11時からは、中国問題のワークショップに参加しました。「alter China」というタイトルで、台湾・香港からの参加者を中心に運営されていました。ちなみに今回のWSFには、香港から4人、台湾からは21人が参加しているそうです。今回は韓国からは参加していないようです。台湾の参加者は若い女性が多いのが特徴でした。

コーディネーターは、浩然基金会研究員の林深靖さん。スピーカーはいずれも女性で、台湾の大学院生、香港のジャーナリスト、台湾の大学副教授の3人。

主催者の考え方は、基本的に共産党一党独裁と市民社会は共存できる」「中国政府は市民社会の成長、農村における新農村建設運動の展開、青年層の自由・表現の自由を求める動きの圧力のもとで自己改革していくだろう」というもの。

しかし、主催者のスピーカーは以上のような考え方を明確には述べずに、「中国では市民社会が成長している」「農村では青年たちが担い手となって新農村建設運動が展開されていて、協同的農業の可能性が拡がっている」と状況を説明するだけでした。

私が「共産党一党独裁と市民社会は共存できると考えているのか」と質問して初めて「そうだ」との答えが返ってきました。また「共産党政府が自己改革する可能性があると考えるのか」と聞くと、これも「そうだ」との答え。しかし、その根拠はインターネットの発展による青年層の動きくらいしか挙げられず、私は「あなた方の主張は分かった。しかし、私はそれに同意できない」と言わせてもらいました。

さらに15時からはウクライナ問題のワークショップに出ました。ウクライナ東部のいわゆる親ロシア派民兵が支配している地域をはじめ、ウクライナから数名の参加があり、現状を訴えました。


この日は一日中、雨が降りました。この季節のチュニスは、天候の移り変わりが早いそうですが、日本よりも寒いという印象を受けました。

夜はglobal ATTACの会議に出ました。10数カ国から30人ほどが出席。ガボン、トーゴなどアフリカ諸国の参加が目立ちました。ATTAC憲章の草案についての議論、12月に予定されているパリでのCOP21の際の大衆行動についての議論がありました。最後に記念撮影も。


2015年3月26日木曜日

ギリシャ債務問題のワークショップ

ギリシャ問題のワークショップのレポートです。場所が分からず、ボランティアを何回もつかまえて、着いたのが10時前で最初のエリック・トゥーサンのスピーチは聞き逃しました.最初の方から参加されていた方から聞いた話と、私が聞き取れた話をくっつけて、大要以下のような話がされたのではないかと思います。
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危機にあるギリシャ:社会運動にとって何が危機なのか?

FSEGTの小講堂146号室で開かれたが、開会は予定より1時間以上の遅れで、場所が分かりにくい、地図が配布されないなどで、参加者がなかなか集まらなかったため?10時頃にはほぼ満席で、フランスからの参加者が多い感じ。

エリック・トゥーサンが最初と最後に熱弁をふるった。




話されていたことの概要

SYRIZAが政権につけた理由は、ギリシャ民衆にとって変化の希望を託せるのがSYRIZA以外にはなかったから。SYRIZAが右派政党「独立ギリシャ人」と連立を組まざるを得なかったのは、共産党がSYRIZAとの連立を拒否したから。48時間以内に組閣を終わらないと政権を手放してしまう可能性があった。
SYRIZA政権が、トロイカと交渉の中で「妥協」しているかのように見えるのは、それは「時間稼ぎ」をしているからと考えられる。EU離脱にしても民衆的合意ができていないため、交渉を重ねてもダメだったと民衆に納得してもらうまでの「時間稼ぎ」だろう。
SYRIZAは運動の中から生まれた政党で、その中心メンバーの多くはWSFやESFの経験者。現在の閣僚の中にもWSF経験者がいる。それ故に社会運動の力が強ければ、政権に影響力を及ぼして、ある方向へと動かすことができる。いまSYRIZAは危うい位置にある。債務を民衆の犠牲で返済するのか、そうしないのか。選挙での勝利後に政策を守らせるのは社会運動の強さがカギ。
ギリシャの債務の80%はトロイカがらみであり、債務監査委員会が発足したので、徹底した不正債務の洗い出しで債務のキャンセルをさせていくことが重要。それを支えるのもギリシャ国内だけでなく、ヨーロッパ全域での社会運動の力である。


ATTAC関西
寺本 勉

ベルハッセンさんとのインタビュー

25日16時から、ホテルで弁護士のベルハッセン・エヌーリさんと会いました。彼は、前回のWSFで「憲法9条」についてのワークショップを日本からの参加者と共同で主宰した方です。2013年の憲法9条世界会議・関西の際にゲストとして招待し、国際会議や集会で発言していただきました。まだ30歳の若手弁護士です。

約1時間、チュニジアの状況、テロ攻撃についての反応などを聞くことができました。

「アラブの春」以降、チュニジアだけが唯一、政治的なプロセスが進行しているのはなぜかという質問に対して、彼はいくつかの要因を挙げました。

*初代大統領のブルギバが子どもたちや女性の教育を重視した政策をとり、その結果、民主主義を経験することができていた。そのため独裁政権が倒されたあと、民主主義へと到達する用意が国民の中に備わっていたこと。
*これが一番重要かも知れないが、独裁政権下でも活発な市民社会と運動が形成されていて、弾圧を受けても脈々と継続されてきたこと。
*部族による統治という伝統がなく、国が統治するという価値観が共有されていること。
*武器が市民の中には手渡されておらず、軍や警察のもとに管理されていること。また、軍の力が比較的弱かったこと。

このために、独裁政権が打倒された後に若干の混乱はあっても、内戦や軍事クーデターを招かなかったと彼は説明しました。この2番目の指摘は重要なポイントだと思います。さらに、彼は「アラブの春」以降の政治的混乱を収拾するにあたって、市民社会の4つのグループの役割が大きかった、つまり労働組合、法律家、実業家、市民運動団体が「国民対話」を通じて憲法制定、大統領選挙、総選挙を実現させたことを指摘しました。

次に、テロ攻撃についてのチュニジアの人々の反応です。

99%のチュニジア人はテロ攻撃を非難しているが、ごく少数の過激主義者が存在していることは事実で、従来は山間部で軍や警察に対する攻撃を行っていた。しかし、今回、首都の中心部で観光客や市民を無差別に殺すテロ攻撃があったことにショックを感じている。チュニジア国内で活動が難しいため、多くの過激主義者がISに参加した。その多くは貧しい層出身の青年だが、中には技術者など高学歴の者もいる。チュニジア人は、民主的なプロセスを支持していて、決してテロ攻撃を認めないだろう。

また、テロ攻撃がおきたことへの政府の責任についても言及しました。

独裁政権が倒されたあと、1年以内に憲法制定すると約束していたが、それが果たされずに市民の中に失望と怒りが高まり、街頭でのデモやストライキという形での運動が拡がった。結局3年かかってしまい、その間に過激主義者が一定の勢力を伸ばしてしまった。それは政府の責任でもある。

非常にわかりやすく説明してくれて、有益な時間でした。


この話のエッセンスをyoutubeにアップしていますので、そちらもご覧ください

「ベルハッセンさんインタビューその1」チュニジア情勢について
http://youtu.be/EwMGV9Fj-mk

「ベルハッセンさんインタビューその2」テロ攻撃について
http://youtu.be/PhehzHDTYpc

「ベルハッセンさんインタビューその3」9条を守る闘いへのメッセージ
http://youtu.be/XwDd-A16Kt4

WSF会場はこんな感じです

25日から本格的に始まったWSF。今朝も、メトロでエル・マナール大学へ向かいました。今回のWSFは、エル・マナール大学の二つのキャンパスを使って、開催されています。FST(理学部)とFSEGT(経済・経営学部)です。



24日が大雨だったせいもあるのか、まだテント等の設営が終わっていない様子でした。会場地図が配布されていなくて、広いキャンパスに数枚の地図が貼られているだけなので、参加したいワークショップの会場を探すのも一苦労です。FSEGTのMini Amph 146を探したのですが、何人ものボランティア学生に聞きまくって、ようやく探し当てた(最後のボランティア学生が親切にもドアの前まで案内してくれた。ありがとう!)時には、開会予定時刻を1時間半も過ぎていました。ところが、参加者が集まらず、実際に始まったのは開会予定時刻の1時間後だったことがわかり、やはり会場を見つけるのに誰もが苦労しているのかな、と思いました。

このワークショップの報告はまた後ほどするとして、演壇横にはエリック・トゥーサンがどんと控えていました。

ワークショップが終わり、会場をぶらっと一回りしてみました。あちこちに本やパンフレット、チラシなどを置いたテントや露店のブースが点在し、定番の土産物屋さんも店を出しています。



広場で一人演説している人もいれば、旗や横幕を出してデモしている団体もいます。かなりの人数が入っていて、人混みがすごい!


会場内で交通事故も目撃しました。目の前でセキュリティの車に轢かれた人がいて、怪我はなさそうでしたが、かなりもめてました。各所のフードコートには、お昼時とあって多くの人がサンドイッチやジュースを口にしていました。

2015年3月25日水曜日

日本関係のワークショップの中継決定!

26日に行われる核エネルギー問題の課題別フォーラムを日本で開催したいというシコ提案を討議するワークショップと28日の福島現地報告のカンファレンスがskype中継されることになりました。

skype中継のアドレスは、powertothepeople0000 です。ぜひ拡散をお願いします。

開始予定時刻は、26日が16時30分、28日が19時30分です。ただ多少の遅れはあると思います。

(番外編)グラフィティ in Tunis (1)

路面電車のキャンパス駅から会場のエルマナールの間にはいくつかの格好のグラフィティのロケーションがある。高速道路脇の塀に描かれたまだ新しいグラフィティは2年前にはなかった。ボランティアの高校生に「意味」を尋ねたが「わからない」と。

ちょっとした地下道にもグラフィティが多い。世界各国共通の「警官クタバレ」(画面左下)は、この国で見るとかなり異なる「意味」を感じてしまう。というのも、チュニジアの独裁政権が打倒されるきっかけが、路上の露天商の青年モハメド・ブアジジが警察の強制的に排除に焼身自殺で抗議したことにあったからだ。若者の高失業率と政府の腐敗、貧富の格差が背景にあった。
他方で、ここでもサパティスタは人気者だ。前回もあちこちでみかけたが、今回は某観光地の駅で。

チュニスの人々

 残念な事件はありましたが、チュニスの街は何事もなかったかのように落ち着いています。むしろ人々は、こういう事件があったにも関わらず、よく来てくれたと思っているチュニジア人が多いようにも思います。

 今朝、開催場所までタクシーで行きましたが、30歳ぐらいの運転手は、自分は今、英語を勉強している、と言って、アラビア語と英語のハンドブックを示し、フランス語交じりの英語で、「チュニジアは好きか」と聞いてきました。そして車は会場入り口の反対側に止まったにも関わらず、私が降りた後も、わざわざ降りてくれて、こっちだからといって、案内してくれました。

 また今回WSFには、前回以上にたくさんの学生ボランティアがいます。会場であるエル・マナール大学の学生が大勢ボランティアとなって、参加者をサポートしています。会場で、地図を見ていると、いつも「何かお手伝いしましょうか」と声がかかります。今朝、女性集会に行こうと思って、キャンパス内で会場を探していたら、ボランティアの女性が「ここの学生です。私が案内します」と言ってくれました。彼女によれば「テロはとても残念だ。私はこのフォーラムにたくさんの人が参加してほしい。それがテロをなくすことだ。私の両親もフォーラムへの私の参加を支援している」と言っていました。

 さらに、デモの出発地点まで、路面電車に乗っていったところ、路面電車が満員でしたが、チュニジア人たち(たぶん学生たち)が、solidarite!と連呼を始めると、次第に歌になり、そのうち、国歌を歌い始めたようでした。なぜ国歌だと思ったかというと、フォーラムとは全く関係ない年配の女性(ムスリム女性が着用する黒のへジャブを着ていた)が私の前に座っていて、最初、学生たちが勝手に大声で歌っていたのを嫌な顔をして聞いていましたが、そのうちある歌になったとき、歌い始めたからです。もちろん国歌であるかどうか、不明ですが、その年配の女性も微笑んで歌い始めたというのは、きっと国歌なのではと思った次第です。そしてさらに学生たちは、そのうちインターナショナルを歌い出しましたが、彼女の唇からは動きが止まりました。

 チュニジアに来てから、しかもチュニスの都市部しか見ていないので、何とも判断しかねるものはありますが、特に都市部の人たちは、現世俗派の政権を維持しようという意向があるように思います。そして、先日の事件は、活動家のみならず、一般の市民にも、チュニジアの危機だと思わせているように思います。土砂降りの中を、デモ参加者たちに大小さまざまな国旗を売っている青年がいて、それが結構売れているのは驚きでした。さらに、女性集会では、紫色のWorldMarch of Womenの旗のほかに、会場からチュニジアの国旗と、西サハラの国旗、それにパレスチナの国旗が振られていて、大歓声が上がっていました。形態はどうあれ、アラブの春がまだまだチュニジアには根付いていて、周辺のアラブ諸国、およびアフリカ諸国の人々の励みになっているように思いました。

 さて、女性集会ですが、寺本さんの報告にもありましたが、400人ぐらい集まった盛大な集会でした。ほとんどがフランス語で、通訳がなかったので、よく理解できないものがありました。それでも、たまたま私が会場に入った時、」モザンビークの女性が英語で話していて、最後に「すべての女性が解放されるまで、私たち女性はcapitalistとの闘いをやめない」とアピールすると拍手がわきました。つづいてCADTMコートジボワールの女性も力強いアピールをしていましたが、残念ながらよくわからずでした。そして集会の最後には、So, so solidarite avec les femmes!(女たちと連帯)とコールがあり、大変な盛り上がりでした。また参加者はとても多彩で、男性たちも多く、特に前述しましたが、西サハラからは10人程度参加していました。

明日からは本格的なフォーラムが始まります。

ATTAC Japan 秋本

マーチの終着点(バルドー博物館前)

執着点に近づくにつれて、少し雨は小降りになってきました。私たちが終着点に着いた後も、デモ隊が次々にやってきます。

道路の北側に面して、バルドー博物館があり、ここがデモの終着点です。

その東側に隣接して国会議事堂があります。

終着点から最寄りのメトロの駅に戻っていく途中で、ブラジルのシコさんに出会いました。24日の夜には、シコさんとともに、核エネルギー問題の課題別フォーラム開催についてのワークショップ(26日)、福島の現地報告のカンファレンス(28日)の打ち合わせをしました。

日本からの参加者(フランスから駆けつけた方も含めて)も2桁になっています。いよいよ25日から本格的にWSFが始まります。




雨の中のオープニングマーチ(その2)

デモコースは、メデイナ(旧市街)の北側にある道路が何本か集まってくるバブ・サアドゥーンから西へ、ほぼ一直線に2KMくらいの距離です、道路の両側をメトロが走っていて、その線路脇を行進します。

ウクライナ問題を訴えているグループにも出会いました。

要所要所には、自動小銃を持って、黒ずくめの警官が立っています。

ATTACフランスの隊列も次第に乱れてきて、三々五々歩いているという感じになってきました。解散地点に近づいてくると、記念写真を撮っているグループもいます。写真というと、デモ途中、解散地点、帰り道で、ひんぱんに参加者から一緒に写真に入ってくれというリクエストがあり、ちょっと行っては立ち止まって、彼ら・彼女らと写真に収まりました。




 
私は、アジアからの参加者にはほとんど出会わなかったのですが、台湾と香港から来た人に会ったという日本からの参加者もいたので、何人かは来ているようでした。ATTAC Japanののぼり旗も何とか解散地点までたどり着きました。

雨の中のオープニングマーチ


24日午後は、事前に日本でチェックした現地の天気予報通りに、雷を伴う激しい雨になりました。傘や雨具を持っていない参加者は、デモ出発地点やデモ途中のあちらこちらで雨宿りしている場面も多く見られました。
当初の予定では、ブルギバ通りに集合して、マーチに出て行くはずでしたが、テロ攻撃を受けてバルドー博物館に向かうコースに変更となりました。デモコースの道路からは一般車両は完全にシャットアウトされ、雨さえなければ随分と解放感溢れるオープニングマーチになっていたことでしょう。


メトロはマーチ参加者が数多く乗り込んで、すし詰め状態。その中でシュプレヒコールが繰り返され、アラビア語のインターナショナルが歌われて、電車の中はすでにデモの盛り上がりです。


私たち日本からの参加者は、全員揃って集合地点に集まることができず、いくつかのグループに分かれて歩きました。集合地点に集まった団体から順次(勝手に)マーチに出発していきます。私のグループは、ATTACフランスの人たちと合流し、激しい雨の中をATTAC Japanののぼり旗を持って、マーチに出発しました。ATTACフランスは、チュニジアにフェリーですぐに渡れる南フランスのメンバーが多く参加しているとのことでした。



雨の中、多くの参加者は傘も差さずに行進していきます。
何せ雨が激しく、かなりの間隔を空けてデモ隊が歩いていくので、全体の状況や参加者数、どの国から参加しているかなどがさっぱりわかりません。ブラジルのグループや女性グループの行進は映像に撮ることができました。


24日午前のエル・マナール大学

24日の昼前に、下見を兼ねてWSF会場のエル・マナール大学を訪れました。チュニス中心街からメトロと呼ばれる路面電車(かなり時代物の車両が中心で、時々新造車両が走ります)で15分ほど。運賃は、チケット売り場に運賃表がないので、正確なところは分かりませんが、日本円で30円くらいでしょうか?適当にコインを渡してお釣りをもらうという要領で、チケットを買いました。

最寄りのキャンパス駅から、ハイウエーのインターテェンジの下をくぐったり、歩道橋でハイウエーを越えたりすると、ゲートがありますがここからは入れません。道路沿いに大学キャンパスの外を回り、正門らしきゲートで結構厳重なボディーチェックと持ち物検査を経て、やっと大学構内に入ることができました。



構内では、翌日以降の本番に備えてテントの設営中でした。

登録のためのテントには長蛇の列です。校舎の壁に大きな絵が貼ってあり、なぜか日本語の表示が・・・、


さらに進むと、校舎の1F通路でにぎやかにパフォーマンスが展開中、多くのカメラやビデオが取り巻いていました。


その建物の中の講堂らしき大部屋では、女性集会が開かれていました。内容はフランス語のためわからないものの、熱気に包まれた集会でした。