2009年1月31日土曜日

29日のWSF会場(写真特集)

写真の順序が時系列と逆になっていますが、夕食のブラジル料理です。長いソーセージは名物料理らしいです。











UFPAのグランドで行われた文化イベント













ATTACとCADTMのセミナーで発言するATTACドイツのジマーさん(欧州議会の議員です)。このセミナーのテーマは、食糧危機でした。











同じセミナーでのCADTMコンゴ(コンゴ民主共和国の方です)のヌチーさん。なかなかの熱弁です。











会場内での文化イベント













毎日、午後になると定期的にスコールが訪れます













29日午前中に行われたATTAC,CADTM
などが主催するセミナー。金融危機の分析が中心でした。












会場相互を結ぶ船着き場で水遊びするユース・キャンプの若者たち。













会場を結ぶシャトルボートの船上から。写真ではよく分からないと思いますが、満潮時には緑の葉が茂っている辺りまで、水面が上がってきます。











寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西



2009年1月29日木曜日

さまざまな問題点

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

28日午前中の写真を送ったあと、WSF会場についてレポートしようと思ったのですが、できませんでした。

午前9時過ぎにUFRAに着いてから、お目当てのPSOL主催のセミナーに行こうとして、散々歩き回ったのと、朝からの猛暑(しかも湿気がひどい)で、ベレン到着以来の累積した疲労も相まってか、セミナーの途中で体調が悪なってしまいました。急いでホテルに帰り、いままで1時間ほど寝ていました。やっぱり無理したらアカン、と当たり前の原則に立ち返った次第です。

27日のラリーですが、現地の新聞では、参加人数を10万、7万、3万とさまざまに書いていたようです。どの新聞も、一面トップに延々と続くデモ隊列を掲載していました。

ちょっと体調も回復してきたので、ここで、現在までのところで、かいま見えたWSFベレンの問題点を指摘しておきたいと思います。まだ終わってないのに、もう総括か、と叱られそうですが。

まず、前回のナイロビに続いて、問題視されている(私が参加した会議で指摘されていた)のが、エントリー・フィーが高いという点です。第3世界のメンバーのエントリー・フィーがいくらだったか、自分でしっかりチェックできてないので、また聞きのレベルですが。

2つ目に、各セミナーやワークショップでの通訳体制の問題です。公式の通訳体制について、まったくアナウンスされていないらしく、各団体がそれぞれ通訳を準備しなければならないようです。このあたり、認識が間違っていたら、秋本さん、春日さん、訂正して下さい。実際、28日の午前中に参加したPSOLのセミナーでは、通訳が用意されている様子はありませんでした。

プログラムも、ポルトアレグレの時のように、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、英語の4カ国語版は内容のごく一部で、各セミナーなどは、主催団体が出してきた原稿をその言語でそのまま掲載している感じで、ほとんどがポルトガル語オンリーです。

まだ書きたいことはあるのですが、29日のプログラムに備えて、休むことにします。

世界教育フォーラム

初めて投稿させていただきます、田村です。WSFは初参加であるにもかかわらず、昨日の交流会では暖かく迎え入れていただいて感謝しております。とても楽しいひと時を過ごすことができました!フォーラムは初参加ですが、ベレンは第二の故郷?ということで少しでも現地の状況をお伝えできればと思います。

インターネットが常に使えない状況なので、遅れての報告になりますが、世界社会フォーラムに先駆けて行われた「世界教育フォーラム」についてのレポートです。

WSFと同時に開催される教育をテーマにしたフォーラムで、今回のベレン開催が第6回となります。1月26日、27日の2日間、ベレンで最も新しいコンベンションセンターHANGARにて行われました。「もう一つの社会を可能にするためのもう一つの教育」を考えるフォーラムで、参加者は約7500人、その多くは公立学校の教員、自治体の教育担当者、大学生、大学教員、教育活動を行なうNGOのスタッフなどで、内訳はおそらく寺本さんの書かれていたものと同じ割合で、海外からはラテンアメリカからの参加者が多い感触でした。ちなみに同日、保健、フリーメディア、水に関するフォーラムも開催されたようです。多分野に関心のある人には辛い選択です。

一日目は、開会式に登場予定のパラ州知事が代理を立て欠席、というハプニング?がありましたが、午前の全体カンファレンスでは解放の神学の大御所レオナルド・ボフ、元環境大臣で北部アクレ州上院議員のマリーナ・シルヴァ、パウロ・フレイレ*研究所所長の教育学者モアシル・ガドッチの三人がそれぞれもう一つの教育の可能性とアマゾンで開催されるフォーラムの意義について力強くメッセージを演説しました。ボフの演説で「持続性(発展を伴う意味でなく)、思いやり、敬意、次世代に自然環境を残すために世界に課された責任、連帯と協力」というキーワードが提示されると、会場は拍手喝采の渦(個々の詳細な内容は別稿とします)。
*『被抑圧者の教育学』で著名なブラジルの教育学者。サンパウロにあるパウロ・フレイレ研究所はWSF主催団体の一つでもあります。



ランチにはベレン名物のヴァタパー(ココナッツ油とマンジオッカ芋のシチューに海老とジャンブーという痺れ草をトッピングしたもの。もちろん例の黄色い粉も!)を食し、午後は6つの分科会(私は「教育、人権、協力、平和の文化」に参加)に分かれ、コーディネーターがそれぞれの分科会の基本概念を確認した後、15人ずつのグループに分かれて90分!そのテーマについて議論し、提言をまとめるワークショップが始まりました。一つの分科会会場に1000人以上集まっているので、会場は歩くスペースもない程。人気の分科会は参加者が多過ぎ、入場制限もされ、参加者からのブーイングが起きていました。ボランティアも一苦労のようでした。最終的に各グループで出された提言をコーディネーターがまとめる間、フロアから発言の機会が設けられ、一人3分という短い時間ながら20人以上の参加者が、公立学校における生徒による暴力、教員の待遇、カリキュラムへの権利教育の導入などについて自分の意見や活動紹介をアピール。個人的にはこれが一番印象的でした。様々な立場で教育にかかわる実践を重ねている人々が意見を相互に交換できる貴重な機会ではないかと思います。最後に、ワード文書5ページ程に箇条書きでまとめられた提言をコーディネーターがスクリーンに投影し読み上げ、フロアから内容の確認を取ります。この進行方法、ブラジルの直接民主主義の実践例「参加型予算」を思い出させます。



会議が終わったのは7時半、外は真っ暗。帰りに会場の入り口にフォーラムののぼりを立てているスタッフを発見、ブラジル人の友人は「準備が遅すぎる・・もう半分終わったのに・・」。(後日談:翌日には取り外されていました。なぜ??)


2日目午前中のカンファレンスには、ラテンアメリカの批判的教育学の一人者カルロス・ロドリゲス・ブランダン、NGO土地なし農民運動からクリスチーナ・ヴァルガス、先住民代表としてカインガング族の教育学者ホザニ・フェルナンデスが熱弁を振るいました(手話の通訳がありました)。33歳という若さのフェルナンデスさんが流暢なポルトガル語で語る**先住民に対する抑圧の歴史と先住民地域の教育に関する訴えを肌で感じ、ベレンまで来て良かった、と実感しました。会場ではその後、昨日の分科会での提言を確認する会議が行なわれましたが、私はラリーのために会場を後にしました。
**「私を見て『彼女はポルトガル語を話すから本当の先住民じゃない』と思う人がたくさんいるが、それこそが世界が作っている先住民のステレオタイプ。本当の先住民を誰も知らないし、知ろうとしてはいない」という語りが印象に残りました。


世界教育フォーラムでの議論については、別稿でまとめたいと思っています。

激しいスコールの中を練り歩く

写真ではわかりにくいですが、雨が降り始めています

山口 響(ピープルズ・プラン研究所)

 安宿に泊まっている私としては、ネットの日本語環境が乏しいので、「速報」というには遅くなってしまってすいません。

 下で寺本さんも書いているように、世界社会フォーラム第1日目となる27日には、ベレン市中でのデモが行われました。デモ自体は全体で2時間でしたが、途中1時間ほど激しいスコールに襲われました。日本での集中豪雨をイメージしてもらえればわかりやすいでしょうか。

 もちろん、街路の軒下で雨宿りする人もいます。しかし、多くの人たち(主に若者たち)が、傘も差さずに、むしろスコールを楽しむ風情で、踊り狂っているのです。一方の私は、デジカメやらノートパソコンやらパスポートやらの貴重品を濡らさないよう、必死で小さな折り畳み傘を持ちながら歩きました(もちろんそれでも色々とずぶ濡れになったのですが)。

 そのコントラストに気づいた私は、なんとなく、恥ずかしい気持ちになり、荷物を濡らさないよう小さくなっている以上にますます小さくなって歩きました。旅行者としてある程度の貴重品を持っていることは仕方ないとしても、私が必死に雨から守ろうとしているものが、世界の一部の人たちしか所有できない高価なものであることに気づいたからです。

 それに対して、自分の体や服、持ち物が濡れることもいとわずに街中を行進しているこの人たちは何なのか。貧しい人たち、社会の周縁にいる人たちにとっては、たとえ1000円だって、たとえIDカード1枚だって貴重品のはず。この人たちはそういうものをほとんど持たない人たちなのか、それとも、持っていても全然気にしない性格の人たちなのか。

 そのあたりのことはわかりませんが、とにかく、少しだけ場違いな感じを持ちながらベレン市中を歩いた、世界社会フォーラムの1日目でした。

28日のWSF会場(写真特集)

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

28日午前中のWSF会場の様子です

広大なUFRAキャンパスの中を移動するWSF参加者













農業大学らしく、水路を整備している姿も














会場の一つ、UFRAの入り口













WSF会場でのパフォーマンス













PSOLが主催するセミナーで熱弁を振るうエレナ代表













PSOLが主催するセミナーに集まった人々













大学構内に設けられたユース・キャンプ













WSFのTシャツが販売されている

2009年1月28日水曜日

日本からの参加者で交流会

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

オープニング・ラリーは、私たちが解散したあとも延々と続き、最終的に終了したのは8時前だったそうです。ラリー参加者がいかに大勢であったかわかります。

27日の夜、日本から参加したメンバーにベレン現地の方を交えて、交流会が開かれました。この交流会には、WSFおおさか連絡会、ATTAC、APWSL,PP研などのメンバーの他、ベレンのNGO「エマウス共和国運動」にかかわってこられた田村さん、そしてベレンで写真を通じた自己啓発にとりくむNGOのマキコさん、今回のWSFベレンへの参加でいろいろとお世話になった現地旅行社「アマゾン・トラベル・サービス」の北島社長にも参加していただきました。この場を借りて、お礼申し上げます。

交流会の場所は、「地球の歩き方」でも紹介されている地元名物のドロガニ料理の店です。各自が自己紹介した後、早速ドロガニ料理にチャレンジ。北島さんから、「フォーラムだけでなく、ベレンの街並み、料理、人々についても吸収していって下さい」とのアドバイスを受け、料理に舌鼓をうつとともに、北島さん、マキコさん、田村さんにさまざまな質問をぶつけました。その中で、ベレンに来てから、みんなが抱いていた疑問が数多く氷解しました。

たとえば、ブラジル料理に必ず添えられる黄色い粉のようなものは何から作られるのか、市内にある「Y.YAMADA」という電気製品なども扱うスーパーは、日本のヤマダ電機と関係あるのか、ドロガニがおいしいのはなぜか、等々です。

ちなみに、上の3つの疑問に対する答えは、
「芋の搾りかすを鍋で炒ったもので、ブラジルの人々は何をおいても、料理にこれをかけて食べます」
「ヤマダヨシオという日系ブラジル人の方が創立者で、ヤマダ電機とは関係ありません」
「アマゾン川とともに流れてきた養分が、河口のマングローブ林で沈殿し、それを食べて大きくなったからです」
でした。

日本でカニを食べる時は「場が静かになる」と言いますが、ベレンでのカニの食べ方は「板の上にカニの脚などを乗せ、木づちのようなもので叩いて、殻を割って食べる」というもので、結構にぎやかな食事となりました。

27日の深夜には、ATTAC東海のメンバーが最後にベレンに到着し、参加者が揃いました。彼は、名古屋~ドバイ~サンパウロ~ベレンというルートで来たのですが、名古屋~ドバイの機内は、期間工や派遣で首を切られた日系ブラジル人であふれていたそうです。

28日の午前中は、「アマゾン・デー」が行われ、本格的なフォーラムの開始となります。

エマウス共和国運動のHPは、
http://emausjapan.org/index.php
です。ぜひ一度アクセスしてみて下さい。

オープニング・ラリー(写真特集)


スコールの中、陽気にデモするラリー参加者













「もう一つの世界は可能だ」と横幕を掲げて進むATTACのメンバー































憲法9条をアピールしているWSFおおさか連絡会の皆さん












ラリーに向けて、集合したPSOL(ブラジルの左翼政党)のメンバー

オープニング・ラリー

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

今日の午後、WSFベレンのオープニング・ラリーが行われました。日本からの参加者約25名も、折からのスコールにびしょ濡れになりながら、最後までラリーに参加しました。

今回のWSFに登録した人は、トータルで91,000人。その内訳は、地元パラ州が51,000人、それ以外のブラジルから30,000人、ブラジル以外から10,000人だそうです。

そのうち、何人がラリーに参加したかはわかりませんが、おそらく数万人規模と思われます。集合場所は、日本のでもとは違って、道路のど真ん中でした。何となく3時頃に、いつの間にかラリーはスタートしていました。私たちは、ATTAC各国の参加者とともに、ラリーに加わりましたが、途中から猛然としたスコールが降ってきて、びしょ濡れになりながらのラリーでした。しかし、ブラジルの参加者は、スコールでかえって盛り上がってきたようで、太鼓を叩き、踊りながら行進していました。

大阪から参加したWSFおおさか連絡会の皆さんは、揃いのグリーンの法被(はっぴ)を着て、憲法9条を世界に訴える一環として、ウチワとバッジを配ってアピールしていました。

前回の投稿で、表題と内容が一致していなかったことをおわびします。プレス登録の問題は、今回のWSFの問題点とともに、別稿で述べたいと思います。

2009年1月27日火曜日

プレス登録をめぐって

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

 今日、市内探訪に出かけたメンバーが、タクシーの運転手の方から聞いた話を紹介します。

 その運転手の方は、現在62歳。6歳の頃に、両親とともにブラジル丸で、マナウス周辺の入植地に来たそうです。しかし、その入植地は、もっとも土地を選ばないイモ類ですら育たない砂地で、ほどなく入職者たちはその土地を捨て、他の場所で死に物狂いで生計を立ててきたとのこと。日本政府による南米移住推進=棄民政策の例といえるでしょう。その方も、ベレン周辺で、野菜を栽培し、ベレンの港近くの野菜市場に売りに来ていたそうですが、それもなかなかうまくいかず、いまはタクシーの運転手をしている。しかし、ベレンではタクシーが過剰状態で、生活は大変とこぼしていたそうです。確かに、市内の路地とも言える狭い道路を歩いていても、ひっきりなしに空車のタクシーが通ります。タクシーのほとんどは、ドイツ、フランス、イタリアなどの小型車です。

 また、ベレン市内には、宿泊施設は8000ベッドしかなく、その10倍もの人が参加する予定のため、ホテルに泊まれなかった人は、ATTACフランスのように「シップ・ホテル」に泊まるか(狭いスペースに何十人も入れられているらしい)、民宿するか、ユース・キャンプに入るか、になっているようです。それでもベレンでの開催にこだわったのは、アマゾンでの開催という点を重視したからでしょう。

 私は、結局、夜の社会運動団体の会議に出れなかったので、その報告は春日さん、秋本さんに譲りたいと思います。


ベレンの街並み(写真特集)






























ベレン市内で撮影したスナップを紹介します。

ベレンの街並み

ATTAC関連のメンバーは、1名をのぞき、ほぼ全員がベレンに到着。明日からのWSF本番に備えて、市内探訪に出かけたり、今日行われる予定の会議の準備をしたり、ホテルで鋭気を養ったり、で各々が行動しています。

今回は、昨日、今日と見たベレンの印象について書きます。

私たちのホテルは、市街地の古い教会や銀行などが建ち並んでいる一角にあります。近くの公園では、昨日は、数多くの露店が出て、市民が大勢繰り出していました。ホテルの近くには、巨大なショッピングモールがあり、中にはおもちゃ、電化製品の大きな店の他に、おそらく三桁の店でひしめいています。日曜日に行ってみると、午後早くの段階では多くの店がシャッターを閉じたままで、閑散としていました。しかし、夜になると、すべての店がオープンし、本当に多くの市民がショッピングや食事を楽しんでいました。

夕食をフードセンターで食べましたが、中央にテーブルとイスを配置し、その周りを十幾つかのテイクアウトの店が取り囲むという、フィリピン辺りでもよく見かける構造でした。料理は、中華あり、ピザあり、ハンバーガーあり、揚げ物あり、で日本の寿司も並んでいました。

一方、ATTACの何人かのメンバーが止まっているホテルは、アマゾン支流に面した港町の中にあります。周辺は、下町の活気にあふれていて、1階が店舗で、2回以上がホテルや住居になっている建物が狭い通りの両側に並んでいます。港近くには、魚や野菜の市場やカフェ、日用品の店などがひしめいています。

そろそろ町の中に、WSFのショルダーバッグを提げた人たちの姿が増え、WSFが始まると言う雰囲気になってきているところです。

いよいよ明日から始まります















労働者党の看板

山口響(ピープルズ・プラン研究所)

 ベレンに早く着きすぎた私は、昨日(25日)一日をかけて、ベレンの街中をブラブラと歩いてきました。ここで世界社会フォーラムが行われると一見してわかるものはまだほとんどないのですが、あるところに、ブラジル労働者党の掲げた「ようこそ、世界の市民」と書かれたボードがありました(各国語で書いてあるのですが、なぜか右上に日本語も)。

 よいかどうかの評価は別にして、これだけ大きなイベントともなると、かなりのカネが動くし、政党や州政府などの支援がないとやはり行うことができないのです。

 さて、今日(26日)はアマゾン連邦農業大学(UFRA)へ参加者登録にいってきました。300人ほどの人が並んでいたでしょうか。大学へとタクシーで向かう途中の街道沿いに、貧しい人びとの住む場所をみることができました。田舎でありながらもそれなりに整備された大学の雰囲気とかなり印象がちがいます。

 本当に困っている人たち、本当に社会を変えたいと願っている人たちのための世界社会フォーラムなのか、現段階では見極めることができません。そもそも、これだけ大きな世界的イベントにそういう機能を求めること自体がまちがっているのかもしれません。かくいう私も、25万円近い飛行機代を払って、こちらに来ているわけですし。
                参加登録のようす
 

 いよいよ明日、ベレン市中の行進(デモ)から、世界社会フォーラムはスタートです。

2009年1月26日月曜日

WSFベレンで待ち受けた国際通貨取引の現実

WSF登録受付のボランティアスタッフ


寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

25日の午後は、最終登録にWSF会場に行く予定でした。ところが、その前段で、ブラジルの通貨であるレアルの入手に苦労してしまいました。

経由地のマナウスでは、深夜にもかかわらず、両替できる銀行窓口が開いていたのですが、「ベレンに着いてからでいいか」と軽く考えてパスしたのが間違いのもとでした。ベレンに着いてみると、日曜日のため、空港の銀行窓口はしまっていたのです。「一応、国際空港なのに、それはないやろ」と皆でぼやきましたが、そのときは「ホテルで両替すればいいか。レートは悪いかも知れないけど」と思っていました。空港からホテルまでのタクシー代は、2005年にポルトアレグレに行ったときの紙幣の残りを持ってきている人がいて、それで支払えました。ところが、ホテルでは両替できなかったのです!

これはどの銀行に聞いても同じで、しかも日曜日で銀行や旅行社もオープンしていません。あちらこちら聞きまわり、周辺を歩き回っても、両替できるところは見つかりません。両替できなければ、タクシーやバスにも乗れないし、登録会場までも行けないことになります。

すると、近くの公園の近くで、日曜日もやっている銀行がある、との情報が入りました。急いで、その所在地とおぼしきあたりを探しましたが、銀行の影も形もありません。やっぱり外国人と見て、いい加減な情報を教えてくれたのか、と思って、ふと見上げると、公園の隅にある深部や雑誌を売っているスタンドの上に、「BANKA ・・・・」と書いてあるではないですか。えっと思いながらも、中に入り、たまたま居合わせた英語の分かるお客さんの助けも借りて聞いてみると、「ここで両替やっている」とのことでした。レートはきわめて悪かったですが、地獄に仏とはこのことでしょう。

同時に、教えてくれた人を疑った私たちの浅はかさに反省しきりでした。実に正確な情報を教えてくれたのに、私たちが見つけられなかっただけなのですから。

これで無事にレアルを入手した私たちは、タクシーでWSF会場の一つ、アマゾン農業連邦大学へ向かいました。タクシーで15分、300レアル(1200円くらい)でした。登録会場の体育館には数多くのブースが設けられ、若いボランティアの皆さんが参加者との応対や登録業務に携わっていました。(写真参照)

私たちも、WSF恒例の資料が入ったショルダーバッグを受け取り、早速肩にかけました。(写真参照)

このあと、プレス登録のため、もう一つの会場であるUFPA(パラ連邦大学)に出かけてのですが、そこではトラブルが待ち受けていました。その内容は、次回の投稿で。さすがに、ちょっと疲れてきたので、寝ることにします。

WSFのロゴ入りバッグを受け取り喜ぶ

2009年1月25日日曜日

「私たちもWSFに参加するんだ」:ベレンに到着

寺本 勉  ATTAC関西/APWSL関西

25日、早朝にベレン空港に到着。さすがに、30数時間の旅はきつい!機内食ばかり連続5食もきつい!

着陸寸前の畿内から見たベレンは、中心部には高層ビルが数多く林立している様子でした。空港は、市街地の北方にあり、タクシーで35リアル(約1400円)、約15分くらいの距離です。

この便に搭乗していた日本からのWSF参加者は5人でした。同じ機内には同様にWSF参加の人が結構いるようで、Iさんの隣に座っていた人が、ATTACのプレートを見て、「私たちもWSFに参加するんだ」と話しかけてきていました。オーストリアから来たそうです。中継地のマナウス空港にも、WSF参加者とおぼしき人たちがたくさんいました。

日本からの参加者の一人、Nさんがベレンの事情に詳しく、WSFのメイン会場(2つの大学構内)やオープニング・マーチの集合地点など、地図の中で示していただいたので、少し会場のイメージが出てきました。私たちのホテルは、市街地の中心部にありますが、会場の大学はそこから東南の方向にかなり離れた場所にあります。バスだと1時間近くかかるかも知れないとのことでした。

今日の午後には、そのうちの一つ農業大学まで、参加登録証をもらいに行く予定です。