2015年3月29日日曜日

28日の集会報告(続報)

小倉です。寺本さんの報告に続いて、以下、続報です。
 
木幡さんのスピーチは、このメールの最後に掲載します。このスピーチの
フランス語訳をあらかじめ作成して会場で配布しました。30分ほどの時間
したとれなかったのですが、福島の現状と闘いについて情熱的に語ってく
れました。このスピーチに続いて、木幡さんが持参した写真集「抗う民」
を会場の壁に貼って、木幡さんたちの闘いと大熊町の状況について写真の
内容について説明しました。

会場からの質疑では、被害の現状だけでなく、政府や東京電力の対応の問
題、日本の反原発運動や今後の闘いについても幅広く発言がありました。

木幡さんの発言のあと、東電前アクションの園良太さんから、自分が運動
に関った経緯を紹介し、福島以外の運動の現状が紹介され、また、福島の
経験を世界と共有できるような闘いが必要であることなどのアピールがあ
りました。質疑に答えるなかで、木幡さんは、原発事故直後に山から降り
てきた猿たちのことを話されました。以前から仲良しだった彼らのなかの
オスの猿が一匹、尻から血を流しながら降りてきて、それからまた山に帰っ
て行ったそうです。木幡さんはサルの様子から尋常ではなく死んだだろう
と涙を見せながら語ってくれました。

最後に、主催者のシコさんから、今後のことについて提案がありました。
2016年に核エネルギーについてのテーマ別フォーラムを開催したいという
趣旨で、26日のワークショップと28日の集会が開催されましたが、その可
能性を追求するための前段階の重要な取り組みとして、今年11月のパリで
開催される気候変動枠組条約の締約国会議、COP21に世界中から環境運動
団体が終結するので、この場で、反原発を訴える取り組みをしたい、とい
う提案がなされました。今後夏前まで各国で関心をもって一緒にとりくん
でくれる人たちに呼びかけて(組織というよりも)緩やかなネットワーク
を構築するので、関心のある人はメールアドレスを残してほしい。

この日の集会には、中国(ホンコン)や台湾からも参加があり、地元チュ
ニジアの人たちの参加も多くみられたと思います。

(付記)今回の集会は、参加者が、フランス語、英語、日本語の間の相互
の通訳がないとお互いに理解できない環境でした。日本語からランス語へ
の通訳だできる方が何人か参加してくださったことは大変助かりました。
本当にありがとうございます。完全ボランティアでしたので、お礼の申し
上げようもありません。今後は、スペイン語やアジア各国の言語への対応
がないと草の根の運動の相互連帯も困難です。なかなか大変な課題です。
また、チュニジアではほとんど福島の原発事故については報道されておら
ず、その被害を理解できている人は少く、また知っている人でも既に終っ
た事故であると考えている人が大半ではないかとのこと。これはチュニジ
アが特別だということではないでしょう。たとえば、インドのボパールの
事故を記憶している人はどれだけいるでしょうか?わたしたちもまた、世
界各国の資本や国家による災害の現実の多くを見すごしていると思います。
他方で、チュニジアでも原発計画があるように、原発の問題が十分に理解
されていない諸国で、気候変動への対応という巧妙な大義名分によって、
原発推進の圧力がかけられてもいます。パリのCOP21がとりわけ反原発運
動にとって重要なのは、フランスという核大国での開催だからです。そこ
に国家の思惑を見ることが必要であり、だからこそ原発は気候変動への答
えにならないことを主張することが重要だと感じています。
(小倉利丸)

木幡さんのスピーチ
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1 大熊町は原発が中心にあって、東電が天皇みたいに君臨していた。それ
にみんなが群がって、お金を得たいから何もいえない状態でした。地域の
コミュニケーションなんていうものは存在しない所でした。誰かが東京電
力の悪口を言おうとしたならば、次煮の日には必ず呼び出され、仕事の配
置転換なんて、ましてや下請けには仕事がまわされなくなるというのは日
常茶飯事と言われていました。おかげで子供たちも影響されて、力の弱い
子に対するいじめは多かったです。

2 2011年3月11日未曾有の大震災により東京電力福島原発事故が起き、すべ
ての今までの原発に対する安心、安全の感情は、人々から拭い取られ、原
発にどっぷりつかっていた住民達は恐れおののき、原発から遠い所に逃げ
た。しかしそれなりに調子のいい人たちは上司に取り入って、上司と言っ
ても地東京本社の上司や国会議員に頼んで、取り入って東京本社に移動さ
せてもらったり、新潟県にある柏崎原発に異動させてもらったり、また町
役場の職員になったりしていきました。しかしそれ以外の東京電力の社員、
及び下請けの作業員たちは原発に戻され、今でも高線量の中で被爆をさせ
られながら働き続けています。

3 あれから4年が経ちました。事態はまったくと言っていいくらい進展せず、
むしろ悪い状況になっています。仮設住宅のおいては、自殺、うつ病。夫
婦間、親と子の喧嘩が絶えず、母子家庭、父子家庭、一人住まいの老人た
ちが増えています。また、格差が生じてきて、それなりに蓄えがある方々
は、また役所関係、公務員の方々、仕事のある方々は仮設住宅から出て、
土地や家を求めて移動して行きました。しかしお金のない方々、余裕の無
い方々は仮設住宅にぎりぎりまで住んでいるか、復興住宅に入ることを希
望しています。しかし復興住宅は抽選で、当選しないとは入れません。人
気の高い、雪の降らないいわき地方は非常に倍率が高く厳しいです。また
エレベーターはあっても階が上になればなる程、老人たちの外出は困難に
なり、ましてやペットを飼っていい復興住宅は全体の一割ぐらいしかあり
ませんので、孤独死してしまう住民が増えていくのではないかと非常に心
配です。

4 子供たちや大人たちの体にもかなりの異状が出てきています。甲状腺の
異状、のう胞、けっせつ、甲状腺癌と、私達女性の会が昨年11月と今年の
6月に、私の仮設の集会所で、いわき市の民間団体である放射能測定室に頼
んで甲状腺の検査をやりました。しかし、全体の八割の方々に異状、つま
りのう胞、けっせつ、そして甲状腺癌の方々がおられました。その他、最
近の子供達の心電図の検査に異状が見られています。そしてさらに最近、
異常な発疹が小さな子供たちに見られるようになり、検査をすると、肝機
能に異状が見られる子供達が出てきています。

5 原発の方は原発で、1~5号機のうちで3号機がメルトスルーをしている
と発表されました。しかし原発で働いている方々は、1、2号機もメルトス
ルーしていると言われています。4号機は今、使用済み燃料棒の取り出しに
取り組んでいますが、なかなか進まず、また汚染水の問題が深刻で、原発
の汚染水の流出が止まらないので、汚染前の地下水をくみ上げて海洋に放
出すると言っていますが、放射性トリチウムがなかなか浄化することがで
きず、そのまま海洋に流してしまうしかないのではと言われています。

6 それなのに大変な問題が多大にあるのにもかかわらず、我々住民達を帰
そうとする動きがあります。福島地元のニュースでは毎日、復興のニュー
スばかりで、原発のことに関してのニュースを流そうとはしません。原発
は後まわしにして、まず福島県民の皆さんは放射能はそんなに心配する事
はない。帰ってきて復興しよう。大熊町は大熊町で今から4年後、2018年
には大熊町に戻ろう、復興ビジョンなるものができました。狂気の沙汰と
しか言い様がありません。

7 原子力でお金が入るのだったら、人の命や生活はどうでもよい。原発で
事故が起きたら地元住民を使え!電力会社本体は傷つかない様に、本社と
切り離して使え!重要なのは人の命ではない!住民の生活ではない!重要
なのはエネルギーだ。そしてそれによって得る金だと、政府や電力会社が
豪語していると思われます。

8 電力会社の社員が、被ばく線量が高くなって福島第一原発から出され、
同じ東京電力である新潟県にある柏崎原発に配属されて異動したら、「お
まえら福島第一原発のおかげで俺達毎日謝り続けてんだぞ。いいかげんに
してくれよな。」とか、また東京本社でも同じことを言われたらしい。

9 最後に今原発の事故が起きて飛び散った放射能。福島県をはじめ、各地
で汚染され放射線量が高くなり、人々は、特に若い子供を持ったお母さん
やお父さん達は大変でした。放射能で汚染されていない所にと避難を余儀
なくされました。しかし経済的に追い詰められて行き、又不安を感じられ
ながらも戻らなければなりませんでした。それで今度は放射能の不安を打
ち消す為にも除せんをしなければなりませんでした。除せんと言っても簡
単な話しではありません。費用はかかるし、又除せんをした後で出た放射
性廃棄物をどこに持って行ってどう処分するべきか。除せんをしても、人々
の生活している側に置いていたのでは、除せんをした意味が有りません。

10 4年が経ってようやく汚染物質の運び入れる場所は決まりましたが、そ
こは最終的な保管場所ではなくてあくまでも中間貯蔵施設です。30年後は
県外に持って行ってと云う事で一応中間貯蔵施設としての保管場所は、原
発事故の起きた地元大熊町や双葉町と決まりましたが、30年後の保証が誰
が出来ますか?今の政治家や地元住民達が元気で生きていますか?お年を
召された多くの方々は、これを決めた政治家達も殆どいなくなるでしょう。
それならそれでこれは、もう搬入された場所が最終処分場になるでしょう。
地元住民達は搬入を決めた以上、地元もやはり高線量の真っ只中帰れる筈
が有りません。それならば地元住民にはきちんとした保証、賠償をして、
次の生活が出来る様にするべきです。それなのに未だに地元の町長達は、
高線量で費用もかなりかかると言っているのに、地元の大熊町や双葉町を
除せんして帰って、又町を復興させようとしています。町長達は別に住民
を思って除せんをやろうとしているのでは無く、町長達にはお金が入る様
になっているのです。一度お金が入る仕組みを覚えてしまうと大変です。
しかし地元住民達には、中間貯蔵施設の場所に住んでいた方々の土地は地
震後は、基本的には地価の価格は0円で、それにお金をいくらかつけていま
すが、あまりにも安過ぎて腹が立っています。もう帰れ無いのですから、
貯蔵施設を持って来るのでしたらきちんと自宅や土地の賠償、保証をして、
次の生活の場所が求められる様にするべきです。

11 中間貯蔵施設を作る際にやはり次の条件が満たされ無ければ中間貯蔵施
設は作られる事は受け入れる事は出来ません。一つは先程言いました土地
や建物に関する賠償、保証の他に中間貯蔵施設の設計や作られる場所に関
して、私は海側に作られては又地震、津波が来たら駄目になってしまいま
す。ましてや地盤は先の地震で崩れ弱くなっている所にいくら30年とは言
え、又地震が来ない保証はありません。そういう所に作るべきでは無いで
しょう。ましてや今津波で未だに行方不明の子供さんがいて、お父さんが
探している所に作られます。そういう所は避けられて当然なのに。又中間
貯蔵施設も作れば良いと云う訳には行かないでしょう。何があっても外に
漏れ無い様に、穴を掘って埋めろは無いでしょう。色々な企業が切磋琢磨
に技術を磨いて作られるべきでは無いですか。

12 震災によって原発が壊れ、放射能汚染が広がり、今だに問題が山積、原
発も1号基から3号基まで高濃度の放射線で、人は誰も入れない状態です。
原発は人間が作った科学の象徴ですが、これは人類を死へと導いて行く殺
人マシンでも有ります。人々は自分達で作ったマシンで病気になり、苦し
み死んで行く事になります。もう原発は止めましょう。健康な体や命と引
き換えの原発はいりません。

「福島の状況」ワークショップ

28日で世界社会フォーラムが終了しました。

28日は、日本時間17時から、討論バー・シチズンでskype中継によるATTAC関西のWSF報告会でレポートしました。そのあと、ATTAC首都圏の報告会でもレポートしてから、WSF会場に向かい、福島の被災者である小幡ますみさんが報告する「福島の状況」ワークショップに参加しました。





ワークショップは60人ほどの参加で、会場が満席となり、半分くらいが地元チュニジアからの参加者だったのは良かったと思います。詳しい内容については、後日に別の参加者からの投稿を期待します。

今回のWSFには、フランス在住の方を含めて4人のフランス語が堪能な方々が日本からの参加者の中におられたので、随分とスムースに進められたと思います。コーディネーターの小倉さんも、本当にご苦労さまでした。

そして、ブルギバ通りに移動して、日本からの参加者のまとめミーティングを終えたところです。

ようやくWSF2015・チュニスが終了しました。ちょっと疲れました。


しかし、このブログの更新はまだまだ続くと思います。しばらくはチェックして下さい。

ATTAC関西
寺本 勉