2015年3月25日水曜日

チュニスの人々

 残念な事件はありましたが、チュニスの街は何事もなかったかのように落ち着いています。むしろ人々は、こういう事件があったにも関わらず、よく来てくれたと思っているチュニジア人が多いようにも思います。

 今朝、開催場所までタクシーで行きましたが、30歳ぐらいの運転手は、自分は今、英語を勉強している、と言って、アラビア語と英語のハンドブックを示し、フランス語交じりの英語で、「チュニジアは好きか」と聞いてきました。そして車は会場入り口の反対側に止まったにも関わらず、私が降りた後も、わざわざ降りてくれて、こっちだからといって、案内してくれました。

 また今回WSFには、前回以上にたくさんの学生ボランティアがいます。会場であるエル・マナール大学の学生が大勢ボランティアとなって、参加者をサポートしています。会場で、地図を見ていると、いつも「何かお手伝いしましょうか」と声がかかります。今朝、女性集会に行こうと思って、キャンパス内で会場を探していたら、ボランティアの女性が「ここの学生です。私が案内します」と言ってくれました。彼女によれば「テロはとても残念だ。私はこのフォーラムにたくさんの人が参加してほしい。それがテロをなくすことだ。私の両親もフォーラムへの私の参加を支援している」と言っていました。

 さらに、デモの出発地点まで、路面電車に乗っていったところ、路面電車が満員でしたが、チュニジア人たち(たぶん学生たち)が、solidarite!と連呼を始めると、次第に歌になり、そのうち、国歌を歌い始めたようでした。なぜ国歌だと思ったかというと、フォーラムとは全く関係ない年配の女性(ムスリム女性が着用する黒のへジャブを着ていた)が私の前に座っていて、最初、学生たちが勝手に大声で歌っていたのを嫌な顔をして聞いていましたが、そのうちある歌になったとき、歌い始めたからです。もちろん国歌であるかどうか、不明ですが、その年配の女性も微笑んで歌い始めたというのは、きっと国歌なのではと思った次第です。そしてさらに学生たちは、そのうちインターナショナルを歌い出しましたが、彼女の唇からは動きが止まりました。

 チュニジアに来てから、しかもチュニスの都市部しか見ていないので、何とも判断しかねるものはありますが、特に都市部の人たちは、現世俗派の政権を維持しようという意向があるように思います。そして、先日の事件は、活動家のみならず、一般の市民にも、チュニジアの危機だと思わせているように思います。土砂降りの中を、デモ参加者たちに大小さまざまな国旗を売っている青年がいて、それが結構売れているのは驚きでした。さらに、女性集会では、紫色のWorldMarch of Womenの旗のほかに、会場からチュニジアの国旗と、西サハラの国旗、それにパレスチナの国旗が振られていて、大歓声が上がっていました。形態はどうあれ、アラブの春がまだまだチュニジアには根付いていて、周辺のアラブ諸国、およびアフリカ諸国の人々の励みになっているように思いました。

 さて、女性集会ですが、寺本さんの報告にもありましたが、400人ぐらい集まった盛大な集会でした。ほとんどがフランス語で、通訳がなかったので、よく理解できないものがありました。それでも、たまたま私が会場に入った時、」モザンビークの女性が英語で話していて、最後に「すべての女性が解放されるまで、私たち女性はcapitalistとの闘いをやめない」とアピールすると拍手がわきました。つづいてCADTMコートジボワールの女性も力強いアピールをしていましたが、残念ながらよくわからずでした。そして集会の最後には、So, so solidarite avec les femmes!(女たちと連帯)とコールがあり、大変な盛り上がりでした。また参加者はとても多彩で、男性たちも多く、特に前述しましたが、西サハラからは10人程度参加していました。

明日からは本格的なフォーラムが始まります。

ATTAC Japan 秋本

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