2009年2月4日水曜日

国際評議会(IC)


Hangar, Belem
Originally uploaded by skasuga

 世界社会フォーラムの基本方針を決定する国際評議会が、閉会後の二日間を使って開かれています。
 毎回、参加団体が好き勝手なことを述べあう場になっていて、なぜこれでコンセンサスが形成されるのか、日本人としては理解に苦しむのですが、二日間が終わるころには今後2年の行動方針のようなものが見えてきます。

 今回は、パレスチナ問題、環境、先住民、そしてもちろん世界的な危機(経済危機、食糧危機、エネルギー危機、そして何人かの論者はそれに「労働危機」を加えるべきだと述べました)といったトピックが熱心に議論されていました。
 また、2010年は"Global Action Year"と規定され、全世界でローカルないしはテーマごとの社会フォーラムを積極的に開催していくことがほぼ確認されてきています。
 その中で、パレスティナ領内で行われる平和フォーラムも提言されていました。
 2011年は、今のところアフリカ(セネガルないし南ア)開催が濃厚な情勢です。

2009年2月2日月曜日

セッション報告(1/28 – 1/29)

田村です。今日は1日、フォーラムの最終日でした。本当は最終全体討論の報告をするべきですが、順を追って各セッションの簡略レポートです。(フォーラム初参加のため、誤った情報は訂正をお願いします!)28日は農科大学(UFRA)、29~31日は連邦大学(UFPA)のキャンパスに行きました。とにかく、直射日光とスコールのタイミングをどう避けるかがセッション参加成功の秘訣?のような気候条件の中(アマゾンの自然にならえ、という感じでしょうか)、山口さんの書かれていたようにかなり適当な地図をたよりに延々と会場を探し回る日々でした(そこらじゅうにいるボランティアはほとんど情報を持っていない・・←名誉のために全員とはいいませんが)。

<先住民テント>
tendaをテントと訳してよいものが迷いますが(集会場というべきか)今回のフォーラムではテーマ別のテントが仮設され、大規模な集会はそこで行なわれます。UFRAでも最大級のテントが先住民のテントでした。私が入った時にはブラジルアマゾン先住民組織連合会主催の「森を守る者、水力発電開発と先住民の権利」が開かれていました。ベレンの位置するブラジル北部パラ州をはじめとしてアマゾナス州、アクレ州、アマパ州などの各地域の先住民グループが参加し、会場の中心に作られた大きな舞台で各民族の儀式的なパフォーマンス(表現が正しくないかも知れません)の後、代表者が演説を行ないました。世界教育フォーラムでもそうでしたが、秋本さんも書かれていたように、ベレンのフォーラムは先住民が発言する機会が多くもたれており、彼らの訴えはアマゾンの自然の声そのものとしてダイレクトに心に響きました。と、なんとも表現能力が乏しいですが、世界社会フォーラムでこのような形でアマゾン先住民を中心に据えるスペースが確保され、森で暮らす彼ら自身の語りで森林破壊、開発の問題の告発を聞くことができたことは大きな収穫でした。到着が遅れ、短時間しか参加できなかったことが悔やまれます。



<FOTOATIVA>

ベレンで古い歴史を持つ写真家たちの社会文化運動グループ、FOTOATIVAのブースに行きました。日系二世のミゲル・チカオカさん主宰の写真家を中心とする組織で、手作りのカメラ(ピンホールカメラが中心)を使って撮影した写真を通してコミュニティの人々が自分の暮らしやベレンの街を表現するプロセスからエンパワーメントを促す活動を続けています(チカオカさんは昨年、日本ブラジル交流年記念イベントのブラジルの代表的な写真家の一人として来日しました)。話によれば、フォーラムの直前に「会場を確保したからワークショップを開いてくれ」と実行委員会から連絡があったそうです。ワークショップは定員オーバーで登録は翌日待ち、という盛況振りでした。会場の外の庭には、ベレンの住民(プロの写真家から市場で働くおっちゃんたちまで)が撮影した「ベレンの歴史」の無数の写真が展示されていました。紐に写真をぶら下げるスタイル、ブラジルのliteratura de cordel(民衆文学)を彷彿とさせます。しかもどの写真も味があって見ごたえあり!





<アマゾンにおける大豆の社会的影響>

数あるセッションの中でどれにしようか(物理的な問題もあり・・)迷った結果、日本に関係のある大豆のセッションに参加しました。土地司牧委員会(CPT)、オランダのNGO Cordaid企画の集会で、これまた会場到着が遅れて最後の参加者のディスカッションを聞くのみでしたが、実際に自分の暮らしている地域に大豆プランテーション導入が具体化しはじめていることに対する危機を訴えるパラ州内陸(サンタレンなど)の人々の声を聞きました。なかには先住民グループの人もいました。「大豆生産の恩恵は住民には戻らない」「生態系を壊すだけ」「輸出作物のために自分たちの土地を奪われるのはもうたくさん」「大豆が悪いわけではなく、大豆生産システムの何が問題なのか見極めなければならない」「住民の連帯から政府に圧力をかけるアクションをおこさなければ」という主張がなされていました。




<番外編:5大統領演説>

秋本さんの書かれていたラテンアメリカの5大統領勢揃いの演説会「ラテンアメリカ―国際危機に挑む」に行ってきました。会場も参加時間も当日に新聞掲載された状態で(ほかに情報源あったのかな・・)、とりあえず19時開催ということなので待ち覚悟で18時に会場に到着。長蛇の列は想像していましたが、あまりに長かった・・。立って待つこと3時間。セキュリティチェックのせいか入場に非常に時間がかかります。一緒に列に並んでいた地元の女性と友達になったので時間はあまり苦ではありませんでしたが、とにかく足が痛い・・。そしてまだ会場の外にいる間に会議は開始(とはいっても20時半でしたが)。それを予期してか会場外にはスクリーンが設置され、外からも中の様子がわかるようになっていました。私たちが入ると同時にモラレス大統領の演説がはじまりましたが、入場数があまりに多い上にみんなしゃべっているので(ここでもキスをはじめるカップルあり)聞こえない!!せきが悪かったこともありますが、音響も悪くルーラの演説を解聴するのがやっとでした(とはいえ、いつもの調子の演説はわかれども、肝心な点は聴衆のおたけびにより聞こえず・・)。「ラテンアメリカはもう一つの世界を可能にする政治力を持ち始めている!」という連帯(社会主義)を確認するような会でした。ルーラ政権に対する数多い批判を考えると、パフォーマンスととらえるべきかと感じますが、こうして「世界社会フォーラム」の一部としてラテンアメリカの5大統領が一堂に会したという事実は悪くないイベントだったと思います。地域誌を解読し、演説内容については後日アップを計りたいと思います。


2009年2月1日日曜日

WSF会場の様子

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

27日に行われたラリーの動画です。ATTAC京都の春日さんにアップを託されたのですが、帰国途中の空港では、結局のところ途中でアクセスが中断してしまい、アップしたのは自宅に帰ってからになってしまいました。そういう事情で、31日の東京の集会には間に合わなくなってしまい、申し訳ありません。

帰国の途中、アトランタ空港で、米軍イラク派遣軍兵士の帰国風景を目にしました。入国審査を待っている(乗り換えだけなのに、なぜ入国審査が必要なんだろうか?)とき、突然、空港当局からのアナウンスが始まり、並んでいるアメリカ人からは一斉に拍手が起きました。

アナウンスは「兵士の皆さん、ありがとう!」「ようこそ故国へ!」といった調子で、数百人の兵士が通り過ぎていく間、ずっとその調子で愛国心を鼓舞していました。アメリカ人以外の審査ブースに並んでいる人々は、その様子を興味深そうに見てはいるものの、静かなもの(当然ですが)。兵士たちは全員が明るい色彩の迷彩服を着用し、大きな荷物を抱えている兵士や女性兵士もいて、拍手に対して手を上げて応えるでもなく、淡々と私たちの前を通り過ぎていいたのが印象的でした。

新自由主義にサヨナラを告げる「南」のパワー

秋本 陽子(ATTAC Japan首都圏)

 毎日、いろんな発見や進展があるので、すぐにでもお伝えしたいと思っていますが、インターネット環境がきわめて悪く、なかなか情報を送れないので、歯がゆい思いでいます。

 WSFベレンに対する総体的な評価は、そのうちあちこち出てくると思いますが、ここで、ごく簡単に私自身がこれまで感じ取ったものを述べたいと思います。

 WSFベレンは、アマゾニア地域の先住民たちとブラジルの若者たちの参加が目立っていること、そしてラテンアメリカにおけるオルタナティブの実践がすでに開始していることを宣言するフォーラムになったという点に特徴があると思います。

 これはもちろんアマゾン川河口のベレンで開催した狙いが成功したと言えます。WSFベレンは、熱帯雨林の伐採やアグロ燃料用作物の作付けなどで、環境破壊が深刻化しているアマゾニア地域を焦点化し、そこに住む先住民たちを可視化することで、今日の新自由主義のグローバルな危機を指摘することに成功したと言えるでしょう。アマゾニア先住民がWSFの参加カードをつけて、自信を持ってフォーラムに参加している姿は、何か期待が持てるような気がしました。

 またブラジルの若者が多いのは、ある意味では、ラテンアメリカ総体の変革の可能性を示唆していると言えるのではないかと思います。ブラジルはWSF運動をベースとしてルーラを選出したものの、ルーラは新自由主義に決別できるほど国民の期待に答えておらず、今日では、貧困層や若者たちの間で批判が高まっています。オープニングのデモのときに、ルーラの支持政党であるPTが通り過ぎると、多くの若者がブーイングを投げかけたり、またATTACのバナーを持ってくれたブラジル人の女性(この女性とは、たまたまデモの現場で知り合った)は、PTの隊列を見て「no good any more(あれはよくない)」と言うなど、WSFに参加している若者の間では大統領批判が続出しているように思われます。そして、一方で、PTと袂を分かち、新たに設立した新党P-Sol(Partido Socialismo e Liberdade)が27日に開催した講演会には、立錐の余地すらないほど、20代の男女が集まり、資本主義反対、ビバ・ソシアリスモ!ビバ・オルタナティブ!と呼びかける党首らのスピーチに大声援を送っていました。

 昨日29日は、ラテンアメリカの左派の大統領5人(ブラジル、ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、パラグアイ)がWSFベレンにやってきて、それぞれスピーチを行いました。聞いたところによれば、会場にフェミニストたち(「世界の女性行進(World March of Women)」)がたくさんいるのをすばやく察知したベネズエラのチャベス大統領は、開口一番「自分はフェミニストだ」と語ったそうです。またこれに先立って行われた土地なき農民運動(MST)とルーラ大統領との交渉(MSTがルーラに交渉を要求したところ、ルーラはその要求に応じた)では、ルーラは、結局MSTに対して100万世帯に住宅を無償提供すると約束しました。

 新自由主義と決別するラテンアメリカの変革は、まだまだ発展途上にあるものの、その兆しはWSFベレンでたっぷり見て取れるとことができると思います。チャベスのイニシアティブで始まったALBAのセミナーには、大勢の人が参加していました。メキシコで水の民営化に反対する運動をしているアレハンドロさんは、「ALBAはまだしっかりと確立されたものではないが、可能性があると思う。現在でも、様々な提案、インプット、インターベンション(意見やコメント)が行われている。さらに、モラレスがALBAを補完するための提案も行っている」と語っていました。「南の銀行」については、31日にセミナーが予定されています。

 また今回、特筆すべきこととして挙げれば、金融危機の中で行われたWSFベレンでは、いくつかのグローバルネットワークが協働してオルタナティブを討論するための連続セミナーが開かれたということがあります。これは、OWINFS(Our World Is Not For Sale「私たちの世界は売り物ではない」)、ATTACインターナショナル、TUCA(Trade Union of the Americas)、CADTM、IGTN(Intenational Gender and Trade Network)、Focus on the Global South、TNI(Transnational Institute)、Climate Justice Now!などのネットワークが、オルタナティブをどのように獲得していくか、オルタナティブとは何なのか、などについて、それぞれ連続セミナーを行い、そこで出された提案または意見を統合して、より具体的なものを作り上げようという試みです。昨日開かれた全体のセミナーでは、会場に入りきれないほど多くの人(約300人)が集まりました。

 他にもたくさん報告すべきことはありますが、追ってお知らせしたいと思います。

豪雨の中、アツいオープニングのデモ

秋本 陽子 (ATTAC Japan首都圏)

 3時からのデモは熱帯地域特有の瞬間的豪雨に大歓迎されて始まった。傘や合羽を使う人もいたが、ほとんどの人はびしょぬれのままデモを続けた。道路にあふれかえるほど集まった人たち(半分以上が20代のブラジルの若者たち)は、歓迎シャワーを浴びて楽しんでいるかのごとく、激しい雨のパンチを手でしきりにぬぐい、踊りながら、デモを続けた。タンクトップの女性たち、または上半身はだかで、へそを出したローウェストのゆるめのパンツをはいた青年たちも、アンダーウェアまでぬれているのがはっきりと分かるくらい、みんなびしょぬれになっている。そしてこのぐちゃぐちゃのデモ隊の中に混じって、自転車やリヤカーを押しながら商魂たくましく水やビールを売り続けるおっちゃんたち-これがまたよく売れる-、さらにはデモ行進の最中に、うちらの熱愛を見て、と言わんばかりに抱き合って熱いキスをしているカップルもいる。いろんな人がいて、ブラジルのデモは本当に楽しい!

 ATTACジャパンの隊列は、9条のハッピ姿で登場したWSF大阪の人たちとともに、海外ATTACの隊列に後ろにくっついた。海外勢の大半はフランスからだ。ATTACフランスの現代表、オーレリーさん(20代後半?)、元事務局長をやっていた人(名前は忘れたが、労働組合のCGTの人)や、また元事務局スタッフのクリストフ・ベンチュラさん、また2007年ドイツ・ロストクのG8対抗アクションでお世話になったATTACドイツのフーゴーさん、昨年7月G8対抗アクションで札幌にやってきたATTACドイツのアレクシスさん、WSF ICアブジャ会議で知り合ったATTACイタリアの女性もいた。ATTACジャパンの旗やバナーは海外ATTACの人や、デモの最中に知り合ったブラジル人が持ってくれた。ATTACフランスは、しっかりと雨対策としてきており、%マークの入った真っ赤なATTACカッパを羽織っていた。デモでは、いろんな人たちに会った。

ようやく本格的に始まった!――ベレン滞在記2~4日目

山口 響(ピープルズ・プラン研究所)

<2日目>
 情報発信ペースが遅く、すいません。なにしろ安宿なので(というより長屋の雰囲気か?)、もちろん部屋でインターネットなどは使えません。宿の1階にインターネット部屋がありますが、もちろん日本語入力は不可。会場のひとつであるパラ連邦大学(UFPA)にも無料インターネットのプレハブがありますが、ここでも日本語入力はできません。これも一種のデジタル・デバイドでしょうか。

 さて、2日目にあたる28日は「汎アマゾンの日」と銘打たれていました。ただそれだけではなんのこっちゃわかりませんので、とりあえずパラ連邦大学(UFPA)に行ってみることにしました。

 一日中クタクタになりながらキャンパス内を歩き回ったのですが、結局、「どこが汎アマゾンの日なの?」という印象。もうひとつの会場であるアマゾン連邦農業大学(UFRA)に行った人はまた違ったものを見たのかもしれません。

 そんなわけで、2日目はキャンパス見学に終始しました。とりあえず、以下の写真を見れば雰囲気をつかんでいただけるでしょうか。・・・・・・と思ったのですが、写真がうまくアップできないので、今回はなしです!

<3日目>
 さて、フォーラムは今日で3日目(29日)。今日から31日までは、さまざまな自主企画が持たれる、フォーラムの中心的な日だといってよいでしょう。

 僕自身は、朝から、「アフリカの軍事基地――米軍アフリカ司令部の創設」というセッションに出かけてきました。世界反基地ネットワークが主催したものですが、事前の心配はいったい何人が集まるのかということ。「ベレンはとにかく遠いし、5人ぐらいだったらどうしよう……」と心配していたのですが、ふたを開けてみると、30人ぐらいが集まってホッとしました。ただ、予定していた会場の教室の鍵を誰も空けに来ず、急遽、近くのテントに移動しての集まりとなりました(後で書きますが、このフォーラムはいろんな点でちょっといい加減すぎます)。

 さて、アフリカ司令部について話したのは、ケニアから来たパトリック・オチェンさん。彼によれば、ほとんど公開されていないが、アフリカの各地で米軍のプレゼンスを増すための交渉を米国はアフリカ各国と進めているといいます(公開されているのはジブチの基地のみ)。

 米軍がアフリカに単一の司令部を置くという考え方は1997年に出てきたのですが、それが、2005年に英国のブレア首相が出したアフリカに関するレポートでよりまとまった形になったといいます。つまり、単に軍事的なプレゼンスというよりも、開発とセキュリティの両者を担う存在として軍隊を置くということです。

 アフリカ司令部は、「反テロ戦争」「石油」「対中封じ込め」の3つの目的に奉仕している、とパトリックさんは語ります。さらに重要な指摘は、米軍とアフリカ各国軍の連携が強まることによって、各国の軍隊もまた国内において軍事的な弾圧に出やすくなっている、ということでした。

 集まりが終わってから、パトリックさんに一声かけて、「日本ではいま、海賊退治だという名目で自衛隊をソマリア沖に派遣しようとしている。『海賊』とはいったいどんな人たちなのか、軍隊を派遣することで解決できる問題なのか興味を持っている」と話しました。ソマリアと同じ東アフリカ地域にあるケニアで活動しているパトリックさんたちにはいくつかの情報や分析があるそうなので、それをあとで教えてもらえることになりました。

 僕自身も、昨年5月にアフリカ開発会議(TICAD)に反対する集会が横浜であって、そこでアフリカ司令部についてしゃべって以降、ほとんど新しいことを調べ切れていません。日本に帰ったらさっそく、パトリックさんからも情報を送ってもらいつつ、ソマリア派兵の問題点や、それと米軍のアフリカ進出の関係などについてあらためて整理してみようと思います。

 さて、そんなわけで色々と役に立つ情報も得たわけですが、その他の点では踏んだり蹴ったりの一日。

 まず、とにかく暑い。ひとつの大学キャンパス内を動き回るだけでもかなりハードです。自主企画の時間帯は3時間の枠が朝・昼・夕の3つ設定されていますが、その間の休みはわずか30分。これでは、大学間移動はおろか、大学内移動も無理な人が多いでしょう。それにメシの時間は? まともに話を聞き、議論に参加するには、せいぜい1日に2枠までの出席が限界、といった感じです。

 そのうえ、疲れなどの影響もあり、ちょっとした下痢にもなっています。腹だけは強いと思っていたし、食べ物や水にも気をつけていたのに、ショック。

 大学内の食べ物屋で、僕がポルトガル語をまったくできないことがわかると、ちょっといやそうな顔をされることも意外な感じがします。「ラテンのノリで乗り切れる」と出国前に聞いていたけど、ウソだったか。

 まあ、ここベレンで起こっていることは「世界」社会フォーラムというよりも「ブラジル」社会フォーラムだという印象を持っているので、言語の壁は多少はしかたないとしても、案内のまずさはもう少し何とかならないものでしょうか。会場の地図を手渡されてはいるのですが、とてもざっくりとしたもので、どの建物がなんという名前なのかがわからなければ、目的の集会の場所に到達しようもありません。しかも、ボランティアの人たちに聞いてもほとんどわからない。

 交通もそうです。市中から会場の2つの大学までは路線バスで30~50分程度あるのですが、そういう情報がメールの「WSF通信」で知らされたのはようやく今日になってからでした。しかもご丁寧に、「自家用車3台分のスペースがあれば、50人乗りのバス1台が走れます」ときたもんだ。そんなに「環境」をうたい文句にしたいなら、なぜちゃんとした交通手段を確保しないのか、と思います(こっちは、タクシーで行くお金もないし、すでに自分で調べて路線バスで毎日通っていますが)。

 あと、会場の2つの大学間にはシャトルバスがある、とも「WSF通信」には書いてあるのですが、これもまた、どこから出ているとかそういう細かいことは何も書いていないし、会場でもちっともアナウンスされていません。タクシーを使える人はいいですが、そうでない人には本当に困った状態です。会場の広さとあいまって、実質的に、ある1日はひとつの会場内のみの移動にとどめざるを得なくなっています。

 ちなみに、路線バスは手を上げて止めないと、自らは停まってくれません。ただ、手を上げているのに、3台連続ぐらいで平気で乗車拒否されたときはちょっと焦りました。まあ、日本みたいに、「職務怠慢の運転手がいる」とかいってつまらない通報をする連中の多い国よりも、このぐらいのいい加減さがあるほうが、生き方としてはいいのかもしれません。

<4日目>
 午前中は、「世界社会フォーラムの将来」と題するシンポジウムに出るはずでした。が、会場に行ってみるとやっていない……。しかし、この数日間で、もうこの手のことには驚かなくなっています。プログラムではこのシンポに朝・昼と2つの時間帯を割り当ててあったので、朝はやめにして昼だけにしたのだろうと思って、とりあえずガラナの炭酸水などを飲みながらのんびりし、昼から会場に行ってみると、はたしてその通りでした。

 さて、シンポ自体は、ウォルデン・ベローやマイケル・ハートなどの有名人も多く発言者に名を連ねていました。個々の発言についてはいちいち記しませんが、討論部分も含めて、次のような論点・問題が浮かび上がってきたように思います。

 ひとつは、いろいろと問題はあったけれども、世界社会フォーラム(WSF)には一定の意味があった、ということ。多くの人が集まりオルタナティブについて議論するスペースとして、社会的な意識を高めるものとして、WSFにはそれなりの意義があったとまずはみなすことができます。

 他方で、「貧しいブラジル人がWSFの会場に入れないのはおかしい、地元ベレンの人たちはいったいどこにいるのか、WSFは中産階級のものなのか」とか、「フォーラムの実務運営面がまずすぎる」とかいった批判が出されました(後者についての一端は3日目の報告にも書いたとおりです)。

 こういう議論を聞きながら、僕自身は、世界的なインパクトを持たせるものとしてWSFを存在させようとすれば、また、数万人の集まるビッグイベントとしてWSFを実際に運営しようとすれば、WSFに対して出されているさまざまな批判・非難に同時に応えることは無理なのではないか、という判断に傾きつつあります。

 たとえば、貧困層も容易に参加できるように参加費をタダ同然にしたり、参加者によりよいサービスをするために多くの人を配置したり十分な交通手段を確保したり食事を安くしたりするとします。そうすると、当然に、その分のコストを誰かが支払わねばなりません。それは、中央・地方の政府だったり、大NGOだったり、財団だったり、企業だったりするでしょう。

 しかし、貧困層の参加の薄さやサービスの悪さを嘆く人は、同時に、大組織からの支援・支配を嫌う傾向にある人たちでもあるのです。これはどう考えても矛盾しています。「安く・便利で、多くの貧困層が参加した世界的ビッグイベントを」というのは、虫のいい話なのです。

 もし、地元からの参加をより多くして民主性を高め、しかも安く上げたいというのであれば、それは「世界」社会フォーラムではありえないでしょう。そのような理想的な形は、それぞれの地元で開かれる○○社会フォーラムでしか実現できないはずです。ちょっとまとまりませんが、今はそのように考えています。

 さて、夕方の時間帯は、「外国軍基地に反対する国際会議:米第4艦隊の復活」というのに行ってきました。世界反基地ネットワークが予定していた「援助・貿易・国家安全保障の軍事化」というワークショップと合体されたということでした。

 米第4艦隊とは、ラテンアメリカ近辺を活動範囲として米国が復活させることを決めた艦隊です。僕自身は、太平洋やインド洋などを対象とする第7艦隊について話をしてくれ、と昨日頼まれていました。

 第4艦隊というからにはラテンアメリカの人たちが会場には多いのだろうな、と思っていましたが、はたしてその通りでした。会議が始まると、発言者が司会によって次々に壇上へと呼ばれます。総勢15人ぐらいでしょうか。

 僕自身も、日本からの「同志」だといって壇上に呼ばれました(仲間をそのように呼ぶ慣わしのある人たちの集まりであることに途中で気づきました)。あと、「第7艦隊に反対して闘っている日本のリーダー」だとも。それはまったく間違っていますが、このような海外の会議の場合、たいていは「日本」というものを背負わされますから、居心地の悪さを感じつつも、いちいち訂正することはしません。

 自分の番が来て、横須賀近辺では米軍・米兵によってさまざまな被害が起きていること、第7艦隊がベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争などに加担してきたことなどを話しました。ラテンアメリカの人たちにも役立つ情報であればよいのですが。

 あすは、世界反基地ネットワークの「運動戦略セッション」があります。とりあえず、今日はここまで。

2009年1月31日土曜日

29日のWSF会場(写真特集)

写真の順序が時系列と逆になっていますが、夕食のブラジル料理です。長いソーセージは名物料理らしいです。











UFPAのグランドで行われた文化イベント













ATTACとCADTMのセミナーで発言するATTACドイツのジマーさん(欧州議会の議員です)。このセミナーのテーマは、食糧危機でした。











同じセミナーでのCADTMコンゴ(コンゴ民主共和国の方です)のヌチーさん。なかなかの熱弁です。











会場内での文化イベント













毎日、午後になると定期的にスコールが訪れます













29日午前中に行われたATTAC,CADTM
などが主催するセミナー。金融危機の分析が中心でした。












会場相互を結ぶ船着き場で水遊びするユース・キャンプの若者たち。













会場を結ぶシャトルボートの船上から。写真ではよく分からないと思いますが、満潮時には緑の葉が茂っている辺りまで、水面が上がってきます。











寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西



2009年1月29日木曜日

さまざまな問題点

寺本 勉 ATTAC関西/APWSL関西

28日午前中の写真を送ったあと、WSF会場についてレポートしようと思ったのですが、できませんでした。

午前9時過ぎにUFRAに着いてから、お目当てのPSOL主催のセミナーに行こうとして、散々歩き回ったのと、朝からの猛暑(しかも湿気がひどい)で、ベレン到着以来の累積した疲労も相まってか、セミナーの途中で体調が悪なってしまいました。急いでホテルに帰り、いままで1時間ほど寝ていました。やっぱり無理したらアカン、と当たり前の原則に立ち返った次第です。

27日のラリーですが、現地の新聞では、参加人数を10万、7万、3万とさまざまに書いていたようです。どの新聞も、一面トップに延々と続くデモ隊列を掲載していました。

ちょっと体調も回復してきたので、ここで、現在までのところで、かいま見えたWSFベレンの問題点を指摘しておきたいと思います。まだ終わってないのに、もう総括か、と叱られそうですが。

まず、前回のナイロビに続いて、問題視されている(私が参加した会議で指摘されていた)のが、エントリー・フィーが高いという点です。第3世界のメンバーのエントリー・フィーがいくらだったか、自分でしっかりチェックできてないので、また聞きのレベルですが。

2つ目に、各セミナーやワークショップでの通訳体制の問題です。公式の通訳体制について、まったくアナウンスされていないらしく、各団体がそれぞれ通訳を準備しなければならないようです。このあたり、認識が間違っていたら、秋本さん、春日さん、訂正して下さい。実際、28日の午前中に参加したPSOLのセミナーでは、通訳が用意されている様子はありませんでした。

プログラムも、ポルトアレグレの時のように、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、英語の4カ国語版は内容のごく一部で、各セミナーなどは、主催団体が出してきた原稿をその言語でそのまま掲載している感じで、ほとんどがポルトガル語オンリーです。

まだ書きたいことはあるのですが、29日のプログラムに備えて、休むことにします。

世界教育フォーラム

初めて投稿させていただきます、田村です。WSFは初参加であるにもかかわらず、昨日の交流会では暖かく迎え入れていただいて感謝しております。とても楽しいひと時を過ごすことができました!フォーラムは初参加ですが、ベレンは第二の故郷?ということで少しでも現地の状況をお伝えできればと思います。

インターネットが常に使えない状況なので、遅れての報告になりますが、世界社会フォーラムに先駆けて行われた「世界教育フォーラム」についてのレポートです。

WSFと同時に開催される教育をテーマにしたフォーラムで、今回のベレン開催が第6回となります。1月26日、27日の2日間、ベレンで最も新しいコンベンションセンターHANGARにて行われました。「もう一つの社会を可能にするためのもう一つの教育」を考えるフォーラムで、参加者は約7500人、その多くは公立学校の教員、自治体の教育担当者、大学生、大学教員、教育活動を行なうNGOのスタッフなどで、内訳はおそらく寺本さんの書かれていたものと同じ割合で、海外からはラテンアメリカからの参加者が多い感触でした。ちなみに同日、保健、フリーメディア、水に関するフォーラムも開催されたようです。多分野に関心のある人には辛い選択です。

一日目は、開会式に登場予定のパラ州知事が代理を立て欠席、というハプニング?がありましたが、午前の全体カンファレンスでは解放の神学の大御所レオナルド・ボフ、元環境大臣で北部アクレ州上院議員のマリーナ・シルヴァ、パウロ・フレイレ*研究所所長の教育学者モアシル・ガドッチの三人がそれぞれもう一つの教育の可能性とアマゾンで開催されるフォーラムの意義について力強くメッセージを演説しました。ボフの演説で「持続性(発展を伴う意味でなく)、思いやり、敬意、次世代に自然環境を残すために世界に課された責任、連帯と協力」というキーワードが提示されると、会場は拍手喝采の渦(個々の詳細な内容は別稿とします)。
*『被抑圧者の教育学』で著名なブラジルの教育学者。サンパウロにあるパウロ・フレイレ研究所はWSF主催団体の一つでもあります。



ランチにはベレン名物のヴァタパー(ココナッツ油とマンジオッカ芋のシチューに海老とジャンブーという痺れ草をトッピングしたもの。もちろん例の黄色い粉も!)を食し、午後は6つの分科会(私は「教育、人権、協力、平和の文化」に参加)に分かれ、コーディネーターがそれぞれの分科会の基本概念を確認した後、15人ずつのグループに分かれて90分!そのテーマについて議論し、提言をまとめるワークショップが始まりました。一つの分科会会場に1000人以上集まっているので、会場は歩くスペースもない程。人気の分科会は参加者が多過ぎ、入場制限もされ、参加者からのブーイングが起きていました。ボランティアも一苦労のようでした。最終的に各グループで出された提言をコーディネーターがまとめる間、フロアから発言の機会が設けられ、一人3分という短い時間ながら20人以上の参加者が、公立学校における生徒による暴力、教員の待遇、カリキュラムへの権利教育の導入などについて自分の意見や活動紹介をアピール。個人的にはこれが一番印象的でした。様々な立場で教育にかかわる実践を重ねている人々が意見を相互に交換できる貴重な機会ではないかと思います。最後に、ワード文書5ページ程に箇条書きでまとめられた提言をコーディネーターがスクリーンに投影し読み上げ、フロアから内容の確認を取ります。この進行方法、ブラジルの直接民主主義の実践例「参加型予算」を思い出させます。



会議が終わったのは7時半、外は真っ暗。帰りに会場の入り口にフォーラムののぼりを立てているスタッフを発見、ブラジル人の友人は「準備が遅すぎる・・もう半分終わったのに・・」。(後日談:翌日には取り外されていました。なぜ??)


2日目午前中のカンファレンスには、ラテンアメリカの批判的教育学の一人者カルロス・ロドリゲス・ブランダン、NGO土地なし農民運動からクリスチーナ・ヴァルガス、先住民代表としてカインガング族の教育学者ホザニ・フェルナンデスが熱弁を振るいました(手話の通訳がありました)。33歳という若さのフェルナンデスさんが流暢なポルトガル語で語る**先住民に対する抑圧の歴史と先住民地域の教育に関する訴えを肌で感じ、ベレンまで来て良かった、と実感しました。会場ではその後、昨日の分科会での提言を確認する会議が行なわれましたが、私はラリーのために会場を後にしました。
**「私を見て『彼女はポルトガル語を話すから本当の先住民じゃない』と思う人がたくさんいるが、それこそが世界が作っている先住民のステレオタイプ。本当の先住民を誰も知らないし、知ろうとしてはいない」という語りが印象に残りました。


世界教育フォーラムでの議論については、別稿でまとめたいと思っています。

激しいスコールの中を練り歩く

写真ではわかりにくいですが、雨が降り始めています

山口 響(ピープルズ・プラン研究所)

 安宿に泊まっている私としては、ネットの日本語環境が乏しいので、「速報」というには遅くなってしまってすいません。

 下で寺本さんも書いているように、世界社会フォーラム第1日目となる27日には、ベレン市中でのデモが行われました。デモ自体は全体で2時間でしたが、途中1時間ほど激しいスコールに襲われました。日本での集中豪雨をイメージしてもらえればわかりやすいでしょうか。

 もちろん、街路の軒下で雨宿りする人もいます。しかし、多くの人たち(主に若者たち)が、傘も差さずに、むしろスコールを楽しむ風情で、踊り狂っているのです。一方の私は、デジカメやらノートパソコンやらパスポートやらの貴重品を濡らさないよう、必死で小さな折り畳み傘を持ちながら歩きました(もちろんそれでも色々とずぶ濡れになったのですが)。

 そのコントラストに気づいた私は、なんとなく、恥ずかしい気持ちになり、荷物を濡らさないよう小さくなっている以上にますます小さくなって歩きました。旅行者としてある程度の貴重品を持っていることは仕方ないとしても、私が必死に雨から守ろうとしているものが、世界の一部の人たちしか所有できない高価なものであることに気づいたからです。

 それに対して、自分の体や服、持ち物が濡れることもいとわずに街中を行進しているこの人たちは何なのか。貧しい人たち、社会の周縁にいる人たちにとっては、たとえ1000円だって、たとえIDカード1枚だって貴重品のはず。この人たちはそういうものをほとんど持たない人たちなのか、それとも、持っていても全然気にしない性格の人たちなのか。

 そのあたりのことはわかりませんが、とにかく、少しだけ場違いな感じを持ちながらベレン市中を歩いた、世界社会フォーラムの1日目でした。