2009年2月1日日曜日

ようやく本格的に始まった!――ベレン滞在記2~4日目

山口 響(ピープルズ・プラン研究所)

<2日目>
 情報発信ペースが遅く、すいません。なにしろ安宿なので(というより長屋の雰囲気か?)、もちろん部屋でインターネットなどは使えません。宿の1階にインターネット部屋がありますが、もちろん日本語入力は不可。会場のひとつであるパラ連邦大学(UFPA)にも無料インターネットのプレハブがありますが、ここでも日本語入力はできません。これも一種のデジタル・デバイドでしょうか。

 さて、2日目にあたる28日は「汎アマゾンの日」と銘打たれていました。ただそれだけではなんのこっちゃわかりませんので、とりあえずパラ連邦大学(UFPA)に行ってみることにしました。

 一日中クタクタになりながらキャンパス内を歩き回ったのですが、結局、「どこが汎アマゾンの日なの?」という印象。もうひとつの会場であるアマゾン連邦農業大学(UFRA)に行った人はまた違ったものを見たのかもしれません。

 そんなわけで、2日目はキャンパス見学に終始しました。とりあえず、以下の写真を見れば雰囲気をつかんでいただけるでしょうか。・・・・・・と思ったのですが、写真がうまくアップできないので、今回はなしです!

<3日目>
 さて、フォーラムは今日で3日目(29日)。今日から31日までは、さまざまな自主企画が持たれる、フォーラムの中心的な日だといってよいでしょう。

 僕自身は、朝から、「アフリカの軍事基地――米軍アフリカ司令部の創設」というセッションに出かけてきました。世界反基地ネットワークが主催したものですが、事前の心配はいったい何人が集まるのかということ。「ベレンはとにかく遠いし、5人ぐらいだったらどうしよう……」と心配していたのですが、ふたを開けてみると、30人ぐらいが集まってホッとしました。ただ、予定していた会場の教室の鍵を誰も空けに来ず、急遽、近くのテントに移動しての集まりとなりました(後で書きますが、このフォーラムはいろんな点でちょっといい加減すぎます)。

 さて、アフリカ司令部について話したのは、ケニアから来たパトリック・オチェンさん。彼によれば、ほとんど公開されていないが、アフリカの各地で米軍のプレゼンスを増すための交渉を米国はアフリカ各国と進めているといいます(公開されているのはジブチの基地のみ)。

 米軍がアフリカに単一の司令部を置くという考え方は1997年に出てきたのですが、それが、2005年に英国のブレア首相が出したアフリカに関するレポートでよりまとまった形になったといいます。つまり、単に軍事的なプレゼンスというよりも、開発とセキュリティの両者を担う存在として軍隊を置くということです。

 アフリカ司令部は、「反テロ戦争」「石油」「対中封じ込め」の3つの目的に奉仕している、とパトリックさんは語ります。さらに重要な指摘は、米軍とアフリカ各国軍の連携が強まることによって、各国の軍隊もまた国内において軍事的な弾圧に出やすくなっている、ということでした。

 集まりが終わってから、パトリックさんに一声かけて、「日本ではいま、海賊退治だという名目で自衛隊をソマリア沖に派遣しようとしている。『海賊』とはいったいどんな人たちなのか、軍隊を派遣することで解決できる問題なのか興味を持っている」と話しました。ソマリアと同じ東アフリカ地域にあるケニアで活動しているパトリックさんたちにはいくつかの情報や分析があるそうなので、それをあとで教えてもらえることになりました。

 僕自身も、昨年5月にアフリカ開発会議(TICAD)に反対する集会が横浜であって、そこでアフリカ司令部についてしゃべって以降、ほとんど新しいことを調べ切れていません。日本に帰ったらさっそく、パトリックさんからも情報を送ってもらいつつ、ソマリア派兵の問題点や、それと米軍のアフリカ進出の関係などについてあらためて整理してみようと思います。

 さて、そんなわけで色々と役に立つ情報も得たわけですが、その他の点では踏んだり蹴ったりの一日。

 まず、とにかく暑い。ひとつの大学キャンパス内を動き回るだけでもかなりハードです。自主企画の時間帯は3時間の枠が朝・昼・夕の3つ設定されていますが、その間の休みはわずか30分。これでは、大学間移動はおろか、大学内移動も無理な人が多いでしょう。それにメシの時間は? まともに話を聞き、議論に参加するには、せいぜい1日に2枠までの出席が限界、といった感じです。

 そのうえ、疲れなどの影響もあり、ちょっとした下痢にもなっています。腹だけは強いと思っていたし、食べ物や水にも気をつけていたのに、ショック。

 大学内の食べ物屋で、僕がポルトガル語をまったくできないことがわかると、ちょっといやそうな顔をされることも意外な感じがします。「ラテンのノリで乗り切れる」と出国前に聞いていたけど、ウソだったか。

 まあ、ここベレンで起こっていることは「世界」社会フォーラムというよりも「ブラジル」社会フォーラムだという印象を持っているので、言語の壁は多少はしかたないとしても、案内のまずさはもう少し何とかならないものでしょうか。会場の地図を手渡されてはいるのですが、とてもざっくりとしたもので、どの建物がなんという名前なのかがわからなければ、目的の集会の場所に到達しようもありません。しかも、ボランティアの人たちに聞いてもほとんどわからない。

 交通もそうです。市中から会場の2つの大学までは路線バスで30~50分程度あるのですが、そういう情報がメールの「WSF通信」で知らされたのはようやく今日になってからでした。しかもご丁寧に、「自家用車3台分のスペースがあれば、50人乗りのバス1台が走れます」ときたもんだ。そんなに「環境」をうたい文句にしたいなら、なぜちゃんとした交通手段を確保しないのか、と思います(こっちは、タクシーで行くお金もないし、すでに自分で調べて路線バスで毎日通っていますが)。

 あと、会場の2つの大学間にはシャトルバスがある、とも「WSF通信」には書いてあるのですが、これもまた、どこから出ているとかそういう細かいことは何も書いていないし、会場でもちっともアナウンスされていません。タクシーを使える人はいいですが、そうでない人には本当に困った状態です。会場の広さとあいまって、実質的に、ある1日はひとつの会場内のみの移動にとどめざるを得なくなっています。

 ちなみに、路線バスは手を上げて止めないと、自らは停まってくれません。ただ、手を上げているのに、3台連続ぐらいで平気で乗車拒否されたときはちょっと焦りました。まあ、日本みたいに、「職務怠慢の運転手がいる」とかいってつまらない通報をする連中の多い国よりも、このぐらいのいい加減さがあるほうが、生き方としてはいいのかもしれません。

<4日目>
 午前中は、「世界社会フォーラムの将来」と題するシンポジウムに出るはずでした。が、会場に行ってみるとやっていない……。しかし、この数日間で、もうこの手のことには驚かなくなっています。プログラムではこのシンポに朝・昼と2つの時間帯を割り当ててあったので、朝はやめにして昼だけにしたのだろうと思って、とりあえずガラナの炭酸水などを飲みながらのんびりし、昼から会場に行ってみると、はたしてその通りでした。

 さて、シンポ自体は、ウォルデン・ベローやマイケル・ハートなどの有名人も多く発言者に名を連ねていました。個々の発言についてはいちいち記しませんが、討論部分も含めて、次のような論点・問題が浮かび上がってきたように思います。

 ひとつは、いろいろと問題はあったけれども、世界社会フォーラム(WSF)には一定の意味があった、ということ。多くの人が集まりオルタナティブについて議論するスペースとして、社会的な意識を高めるものとして、WSFにはそれなりの意義があったとまずはみなすことができます。

 他方で、「貧しいブラジル人がWSFの会場に入れないのはおかしい、地元ベレンの人たちはいったいどこにいるのか、WSFは中産階級のものなのか」とか、「フォーラムの実務運営面がまずすぎる」とかいった批判が出されました(後者についての一端は3日目の報告にも書いたとおりです)。

 こういう議論を聞きながら、僕自身は、世界的なインパクトを持たせるものとしてWSFを存在させようとすれば、また、数万人の集まるビッグイベントとしてWSFを実際に運営しようとすれば、WSFに対して出されているさまざまな批判・非難に同時に応えることは無理なのではないか、という判断に傾きつつあります。

 たとえば、貧困層も容易に参加できるように参加費をタダ同然にしたり、参加者によりよいサービスをするために多くの人を配置したり十分な交通手段を確保したり食事を安くしたりするとします。そうすると、当然に、その分のコストを誰かが支払わねばなりません。それは、中央・地方の政府だったり、大NGOだったり、財団だったり、企業だったりするでしょう。

 しかし、貧困層の参加の薄さやサービスの悪さを嘆く人は、同時に、大組織からの支援・支配を嫌う傾向にある人たちでもあるのです。これはどう考えても矛盾しています。「安く・便利で、多くの貧困層が参加した世界的ビッグイベントを」というのは、虫のいい話なのです。

 もし、地元からの参加をより多くして民主性を高め、しかも安く上げたいというのであれば、それは「世界」社会フォーラムではありえないでしょう。そのような理想的な形は、それぞれの地元で開かれる○○社会フォーラムでしか実現できないはずです。ちょっとまとまりませんが、今はそのように考えています。

 さて、夕方の時間帯は、「外国軍基地に反対する国際会議:米第4艦隊の復活」というのに行ってきました。世界反基地ネットワークが予定していた「援助・貿易・国家安全保障の軍事化」というワークショップと合体されたということでした。

 米第4艦隊とは、ラテンアメリカ近辺を活動範囲として米国が復活させることを決めた艦隊です。僕自身は、太平洋やインド洋などを対象とする第7艦隊について話をしてくれ、と昨日頼まれていました。

 第4艦隊というからにはラテンアメリカの人たちが会場には多いのだろうな、と思っていましたが、はたしてその通りでした。会議が始まると、発言者が司会によって次々に壇上へと呼ばれます。総勢15人ぐらいでしょうか。

 僕自身も、日本からの「同志」だといって壇上に呼ばれました(仲間をそのように呼ぶ慣わしのある人たちの集まりであることに途中で気づきました)。あと、「第7艦隊に反対して闘っている日本のリーダー」だとも。それはまったく間違っていますが、このような海外の会議の場合、たいていは「日本」というものを背負わされますから、居心地の悪さを感じつつも、いちいち訂正することはしません。

 自分の番が来て、横須賀近辺では米軍・米兵によってさまざまな被害が起きていること、第7艦隊がベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争などに加担してきたことなどを話しました。ラテンアメリカの人たちにも役立つ情報であればよいのですが。

 あすは、世界反基地ネットワークの「運動戦略セッション」があります。とりあえず、今日はここまで。

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