2009年2月4日水曜日

混乱と喧騒の中、WSFは終了――ベレン滞在記5~6日目

山口 響(ピープルズ・プラン研究所)

 いま、日本に帰る途上のベレン空港です。ベレン滞在記もいよいよこれで最後。今回は、世界社会フォーラム(WSF)5日目と6日目について。

<5日目>
 今日(1月31日)は朝から「グローバルで公正・公平な連帯経済をつくる」というセミナーに出るはずでした。またかと思われるかもしれませんが、出る「はず」だったのです。会場となる講堂に行ってみると、ぜんぜん別の団体が別の内容のセミナーをやっているのです。これには困った。

 しかたないので、辺りをブラブラして時間をつぶし、1時間後ぐらいにまた戻ってみると、はたして、8時半から始まるはずだったセミナーが「10時半開始」との張り紙が。セミナーが始まってから聞くと、部屋のダブルブッキングが原因だったようです。やれやれ。

 金融危機の時代に連帯経済がどういう可能性を持っているのか、じっくり議論が聞きたかったのですが、次の集まりの時間が迫っていて、結局45分ぐらいしかいられませんでした。ひとつだけ印象に残ったのは、あるアメリカ人が言っていた、「左翼ですら連帯経済のことをほとんど知らない。世界的にどういう連帯経済の試みがあるのかをマッピングする(=地図の上で図示する)プロジェクトを立ち上げるべきだ」という言葉。本当にそんな資料ができたら、かなり励みになりますね。

 ちなみに、会場であるパラ連邦大学(UFPA)のキャンパス内には、連帯経済のプロジェクトが民芸品などの店を多数出していました。

                 連帯経済の出店

 さて、午後からは、世界反基地ネットワークの「運動戦略セッション」。要は、これから何をすべきかざっくばらんに話し合いましょう、という集まりです。出席したのは、アメリカ・日本・アルゼンチン・エクアドル・ペルー・ブラジル・ケニア・トルコ・オランダ・スウェーデン・ノルウェー・イラン(米国籍)から19人。人数は少ないですが、顔ぶれは多彩です。

 ラテンアメリカからの参加者が多かったので、米第4艦隊の復活についてある程度まとまって話を聞くことができました。ラテンアメリカの首脳レベルでは、第4艦隊の復活について明確に拒絶されているということです。問題は民衆運動レベルです。アルゼンチンやブラジルなどでは、何らかの形での反対運動がすでに準備されているとのこと。ペルーでは、表立って反対運動を起こせるかどうかよくわからない、とのことでした。また、アルゼンチンでは、マルビナス(フォークランド諸島)の英軍基地の問題もあるといいます。

 また、ヨーロッパでは、4月にNATO60周年記念への反対運動が組織されること、グリーンランド(デンマーク)の基地やノルウェー北部のレーダー基地など、あまり目立っていないが重要な問題もあることが指摘されました。

 アフリカについては3日目のところでも書いたので繰り返しません。アジア太平洋に関しては、話せるのが僕ぐらいしかいなかったので、横須賀の住民運動のことや辺野古の動きなどについて話しておきました。

 そんなわけで、どちらかというと、各地の運動報告に終始した感はありましたが、それでもなお有益でした。グローバルな規模でどんな取り組みをするかについては、2月末に行われる「ワシントン反基地会議」においてきっと話し合われることになるでしょう。僕自身は、2007年3月に「エクアドル反基地会議」に行ったときに引き続いて、「今度こそスペイン語を勉強する!」と固く心に誓ったのでした(とか言ってどうなるか知りませんが)。

          反基地ネットワークの「運動戦略セッション」

 反基地のセッションが終わったあと、そこに参加したメンバー5人で遅い昼食をとりました。WSFに合わせて南米の大統領5人の揃い踏みがありましたが、食事を取りながら、WSFと政治権力の関係をめぐって、皆で激しく議論しました。

<6日目>
 いよいよ今日(2月1日)が最終日。この日は、午前中がテーマごとの「○○総会」に分かれ、昼からは「諸総会の総会」(Assembly of Assemblies)が持たれることになっています。

 僕は例によって「戦争と軍事主義」に関する総会に出ることにしていましたから、会場となっていたアマゾン連邦農業大学(UFRA)に向かいました。ただ、そのままUFRAに行ったのではつまらないので、いったんパラ連邦大学(UFPA)に行って、そこから連絡船でUFRAに渡ろうと考えていました(連絡船については寺本さんが書いています)。ところが、どうやら間違った循環バスに乗ってしまったらしく、街中をグルグルと回ったあげく、なぜかUFRAの門前に。そういうわけで幸か不幸か、あっさりとUFRAに着きました。

 この大学は農業大学というだけあって、キャンパスが異常に広いのです。ゆっくり歩くと端から端まで30分以上はかかるでしょう。キャンパス内をえっちらおっちら歩いていると、ジョージ・マーチンさん(米国の反戦ネットワーク「平和と正義連合」)に出会いました。「よかった、今日の場所がわからなかったんだ」と彼は言います。僕は場所を知っていたので、会場まで案内することができました(場所がフォーラム参加者に知らされたのは、またしても、わずか前日のことだったのです)。バスを間違ったおかげで、キーパーソンをひとり失わずに済んだのは幸運でした。


              UFRAの広いキャンパスを歩く

 さて、このマーチンさん、WSFには何度も出ているようで、反戦総会への出席者が毎回減っていることを嘆いていました。特に今回はパレスチナ問題の重要性を言うべきだ、と彼は強調していました。

 反戦総会の出席は、入れ替わり立ち代わりで50~60人と言ったところでしょうか。地域的にもかなり多様なメンバーでした。イスラエルに対してあらゆる抗議行動を起こすべきだ、反NATO60周年行動への協力を、といった意見が多かったように思います。僕自身も、「日本の自衛隊は米軍だけではなく欧州諸国の軍隊とも協力するようになってきているから、ヨーロッパでNATOに反対している人たちと連帯することが必要だ」と(とりあえず一般論のレベルですが)発言しておきました。

 そこで出された諸々の意見は、最終的に、WSF全体の宣言文(?)に他の総会の意見とともに短く入れられることになっているそうです。まだ文章を見ていないので、反戦総会の司会者たちがどのように議論をまとめたのかはわかりません。

                 反戦総会のようす

 ところで、昼食のとき、英語を話すことができるUFPAの学生とたまたま席が隣になり、ベレンのことなどについていろいろと話を聞くことができました。ひとつだけ印象に残ったことを書くと、警察に対する見方でしょうか。地元新聞のWSF特別版にも書かれていたのですが、彼女もまた、「WSF期間中は、街に警官が多くていい」というのです。

 実際、街中だけではなく、キャンパス内にも警官はたくさんいました。警察には、軍事警察・連邦警察・州警察の3種類あって、キャンパス内にいたのは連邦警察でした(連邦大学だからでしょう)。ただ、マシンガンで武装するなどかなり本格的なものです。連邦警察のヘリもキャンパス上を常時旋回していました。

 日本の経験からすると「大学の自治」という言葉がすぐ出てくるのですが、貧困と犯罪がはびこる国においては、(たとえ軍事独裁の経験があったにしても)かなり違った意見が出てくるようです。

 そんなわけで、6日間の日程をようやく終えました。まだ自分の中でうまく経験をまとめ切れませんが、3月9日には東京でWSF参加者による報告を開きますので、そこでもう少しまとめてお話できるようにしておきます。報告会の詳細については、あらためてお知らせします。

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