2015年3月27日金曜日

26日のWSF

26日は日本絡みのワークショップとして、午前中に核エネルギー問題に課題別フォーラムを日本で開催したいという提案についてのディスカッションがおこなわれました。

私自身は、このワークショップの最後の30分ほどしか参加できなかったので、詳しい報告は他の方にお願いしたいと思います。写真で雰囲気だけでも感じて下さい。

11時からは、中国問題のワークショップに参加しました。「alter China」というタイトルで、台湾・香港からの参加者を中心に運営されていました。ちなみに今回のWSFには、香港から4人、台湾からは21人が参加しているそうです。今回は韓国からは参加していないようです。台湾の参加者は若い女性が多いのが特徴でした。

コーディネーターは、浩然基金会研究員の林深靖さん。スピーカーはいずれも女性で、台湾の大学院生、香港のジャーナリスト、台湾の大学副教授の3人。

主催者の考え方は、基本的に共産党一党独裁と市民社会は共存できる」「中国政府は市民社会の成長、農村における新農村建設運動の展開、青年層の自由・表現の自由を求める動きの圧力のもとで自己改革していくだろう」というもの。

しかし、主催者のスピーカーは以上のような考え方を明確には述べずに、「中国では市民社会が成長している」「農村では青年たちが担い手となって新農村建設運動が展開されていて、協同的農業の可能性が拡がっている」と状況を説明するだけでした。

私が「共産党一党独裁と市民社会は共存できると考えているのか」と質問して初めて「そうだ」との答えが返ってきました。また「共産党政府が自己改革する可能性があると考えるのか」と聞くと、これも「そうだ」との答え。しかし、その根拠はインターネットの発展による青年層の動きくらいしか挙げられず、私は「あなた方の主張は分かった。しかし、私はそれに同意できない」と言わせてもらいました。

さらに15時からはウクライナ問題のワークショップに出ました。ウクライナ東部のいわゆる親ロシア派民兵が支配している地域をはじめ、ウクライナから数名の参加があり、現状を訴えました。


この日は一日中、雨が降りました。この季節のチュニスは、天候の移り変わりが早いそうですが、日本よりも寒いという印象を受けました。

夜はglobal ATTACの会議に出ました。10数カ国から30人ほどが出席。ガボン、トーゴなどアフリカ諸国の参加が目立ちました。ATTAC憲章の草案についての議論、12月に予定されているパリでのCOP21の際の大衆行動についての議論がありました。最後に記念撮影も。


2015年3月26日木曜日

ギリシャ債務問題のワークショップ

ギリシャ問題のワークショップのレポートです。場所が分からず、ボランティアを何回もつかまえて、着いたのが10時前で最初のエリック・トゥーサンのスピーチは聞き逃しました.最初の方から参加されていた方から聞いた話と、私が聞き取れた話をくっつけて、大要以下のような話がされたのではないかと思います。
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危機にあるギリシャ:社会運動にとって何が危機なのか?

FSEGTの小講堂146号室で開かれたが、開会は予定より1時間以上の遅れで、場所が分かりにくい、地図が配布されないなどで、参加者がなかなか集まらなかったため?10時頃にはほぼ満席で、フランスからの参加者が多い感じ。

エリック・トゥーサンが最初と最後に熱弁をふるった。




話されていたことの概要

SYRIZAが政権につけた理由は、ギリシャ民衆にとって変化の希望を託せるのがSYRIZA以外にはなかったから。SYRIZAが右派政党「独立ギリシャ人」と連立を組まざるを得なかったのは、共産党がSYRIZAとの連立を拒否したから。48時間以内に組閣を終わらないと政権を手放してしまう可能性があった。
SYRIZA政権が、トロイカと交渉の中で「妥協」しているかのように見えるのは、それは「時間稼ぎ」をしているからと考えられる。EU離脱にしても民衆的合意ができていないため、交渉を重ねてもダメだったと民衆に納得してもらうまでの「時間稼ぎ」だろう。
SYRIZAは運動の中から生まれた政党で、その中心メンバーの多くはWSFやESFの経験者。現在の閣僚の中にもWSF経験者がいる。それ故に社会運動の力が強ければ、政権に影響力を及ぼして、ある方向へと動かすことができる。いまSYRIZAは危うい位置にある。債務を民衆の犠牲で返済するのか、そうしないのか。選挙での勝利後に政策を守らせるのは社会運動の強さがカギ。
ギリシャの債務の80%はトロイカがらみであり、債務監査委員会が発足したので、徹底した不正債務の洗い出しで債務のキャンセルをさせていくことが重要。それを支えるのもギリシャ国内だけでなく、ヨーロッパ全域での社会運動の力である。


ATTAC関西
寺本 勉

ベルハッセンさんとのインタビュー

25日16時から、ホテルで弁護士のベルハッセン・エヌーリさんと会いました。彼は、前回のWSFで「憲法9条」についてのワークショップを日本からの参加者と共同で主宰した方です。2013年の憲法9条世界会議・関西の際にゲストとして招待し、国際会議や集会で発言していただきました。まだ30歳の若手弁護士です。

約1時間、チュニジアの状況、テロ攻撃についての反応などを聞くことができました。

「アラブの春」以降、チュニジアだけが唯一、政治的なプロセスが進行しているのはなぜかという質問に対して、彼はいくつかの要因を挙げました。

*初代大統領のブルギバが子どもたちや女性の教育を重視した政策をとり、その結果、民主主義を経験することができていた。そのため独裁政権が倒されたあと、民主主義へと到達する用意が国民の中に備わっていたこと。
*これが一番重要かも知れないが、独裁政権下でも活発な市民社会と運動が形成されていて、弾圧を受けても脈々と継続されてきたこと。
*部族による統治という伝統がなく、国が統治するという価値観が共有されていること。
*武器が市民の中には手渡されておらず、軍や警察のもとに管理されていること。また、軍の力が比較的弱かったこと。

このために、独裁政権が打倒された後に若干の混乱はあっても、内戦や軍事クーデターを招かなかったと彼は説明しました。この2番目の指摘は重要なポイントだと思います。さらに、彼は「アラブの春」以降の政治的混乱を収拾するにあたって、市民社会の4つのグループの役割が大きかった、つまり労働組合、法律家、実業家、市民運動団体が「国民対話」を通じて憲法制定、大統領選挙、総選挙を実現させたことを指摘しました。

次に、テロ攻撃についてのチュニジアの人々の反応です。

99%のチュニジア人はテロ攻撃を非難しているが、ごく少数の過激主義者が存在していることは事実で、従来は山間部で軍や警察に対する攻撃を行っていた。しかし、今回、首都の中心部で観光客や市民を無差別に殺すテロ攻撃があったことにショックを感じている。チュニジア国内で活動が難しいため、多くの過激主義者がISに参加した。その多くは貧しい層出身の青年だが、中には技術者など高学歴の者もいる。チュニジア人は、民主的なプロセスを支持していて、決してテロ攻撃を認めないだろう。

また、テロ攻撃がおきたことへの政府の責任についても言及しました。

独裁政権が倒されたあと、1年以内に憲法制定すると約束していたが、それが果たされずに市民の中に失望と怒りが高まり、街頭でのデモやストライキという形での運動が拡がった。結局3年かかってしまい、その間に過激主義者が一定の勢力を伸ばしてしまった。それは政府の責任でもある。

非常にわかりやすく説明してくれて、有益な時間でした。


この話のエッセンスをyoutubeにアップしていますので、そちらもご覧ください

「ベルハッセンさんインタビューその1」チュニジア情勢について
http://youtu.be/EwMGV9Fj-mk

「ベルハッセンさんインタビューその2」テロ攻撃について
http://youtu.be/PhehzHDTYpc

「ベルハッセンさんインタビューその3」9条を守る闘いへのメッセージ
http://youtu.be/XwDd-A16Kt4

WSF会場はこんな感じです

25日から本格的に始まったWSF。今朝も、メトロでエル・マナール大学へ向かいました。今回のWSFは、エル・マナール大学の二つのキャンパスを使って、開催されています。FST(理学部)とFSEGT(経済・経営学部)です。



24日が大雨だったせいもあるのか、まだテント等の設営が終わっていない様子でした。会場地図が配布されていなくて、広いキャンパスに数枚の地図が貼られているだけなので、参加したいワークショップの会場を探すのも一苦労です。FSEGTのMini Amph 146を探したのですが、何人ものボランティア学生に聞きまくって、ようやく探し当てた(最後のボランティア学生が親切にもドアの前まで案内してくれた。ありがとう!)時には、開会予定時刻を1時間半も過ぎていました。ところが、参加者が集まらず、実際に始まったのは開会予定時刻の1時間後だったことがわかり、やはり会場を見つけるのに誰もが苦労しているのかな、と思いました。

このワークショップの報告はまた後ほどするとして、演壇横にはエリック・トゥーサンがどんと控えていました。

ワークショップが終わり、会場をぶらっと一回りしてみました。あちこちに本やパンフレット、チラシなどを置いたテントや露店のブースが点在し、定番の土産物屋さんも店を出しています。



広場で一人演説している人もいれば、旗や横幕を出してデモしている団体もいます。かなりの人数が入っていて、人混みがすごい!


会場内で交通事故も目撃しました。目の前でセキュリティの車に轢かれた人がいて、怪我はなさそうでしたが、かなりもめてました。各所のフードコートには、お昼時とあって多くの人がサンドイッチやジュースを口にしていました。

2015年3月25日水曜日

日本関係のワークショップの中継決定!

26日に行われる核エネルギー問題の課題別フォーラムを日本で開催したいというシコ提案を討議するワークショップと28日の福島現地報告のカンファレンスがskype中継されることになりました。

skype中継のアドレスは、powertothepeople0000 です。ぜひ拡散をお願いします。

開始予定時刻は、26日が16時30分、28日が19時30分です。ただ多少の遅れはあると思います。

(番外編)グラフィティ in Tunis (1)

路面電車のキャンパス駅から会場のエルマナールの間にはいくつかの格好のグラフィティのロケーションがある。高速道路脇の塀に描かれたまだ新しいグラフィティは2年前にはなかった。ボランティアの高校生に「意味」を尋ねたが「わからない」と。

ちょっとした地下道にもグラフィティが多い。世界各国共通の「警官クタバレ」(画面左下)は、この国で見るとかなり異なる「意味」を感じてしまう。というのも、チュニジアの独裁政権が打倒されるきっかけが、路上の露天商の青年モハメド・ブアジジが警察の強制的に排除に焼身自殺で抗議したことにあったからだ。若者の高失業率と政府の腐敗、貧富の格差が背景にあった。
他方で、ここでもサパティスタは人気者だ。前回もあちこちでみかけたが、今回は某観光地の駅で。

チュニスの人々

 残念な事件はありましたが、チュニスの街は何事もなかったかのように落ち着いています。むしろ人々は、こういう事件があったにも関わらず、よく来てくれたと思っているチュニジア人が多いようにも思います。

 今朝、開催場所までタクシーで行きましたが、30歳ぐらいの運転手は、自分は今、英語を勉強している、と言って、アラビア語と英語のハンドブックを示し、フランス語交じりの英語で、「チュニジアは好きか」と聞いてきました。そして車は会場入り口の反対側に止まったにも関わらず、私が降りた後も、わざわざ降りてくれて、こっちだからといって、案内してくれました。

 また今回WSFには、前回以上にたくさんの学生ボランティアがいます。会場であるエル・マナール大学の学生が大勢ボランティアとなって、参加者をサポートしています。会場で、地図を見ていると、いつも「何かお手伝いしましょうか」と声がかかります。今朝、女性集会に行こうと思って、キャンパス内で会場を探していたら、ボランティアの女性が「ここの学生です。私が案内します」と言ってくれました。彼女によれば「テロはとても残念だ。私はこのフォーラムにたくさんの人が参加してほしい。それがテロをなくすことだ。私の両親もフォーラムへの私の参加を支援している」と言っていました。

 さらに、デモの出発地点まで、路面電車に乗っていったところ、路面電車が満員でしたが、チュニジア人たち(たぶん学生たち)が、solidarite!と連呼を始めると、次第に歌になり、そのうち、国歌を歌い始めたようでした。なぜ国歌だと思ったかというと、フォーラムとは全く関係ない年配の女性(ムスリム女性が着用する黒のへジャブを着ていた)が私の前に座っていて、最初、学生たちが勝手に大声で歌っていたのを嫌な顔をして聞いていましたが、そのうちある歌になったとき、歌い始めたからです。もちろん国歌であるかどうか、不明ですが、その年配の女性も微笑んで歌い始めたというのは、きっと国歌なのではと思った次第です。そしてさらに学生たちは、そのうちインターナショナルを歌い出しましたが、彼女の唇からは動きが止まりました。

 チュニジアに来てから、しかもチュニスの都市部しか見ていないので、何とも判断しかねるものはありますが、特に都市部の人たちは、現世俗派の政権を維持しようという意向があるように思います。そして、先日の事件は、活動家のみならず、一般の市民にも、チュニジアの危機だと思わせているように思います。土砂降りの中を、デモ参加者たちに大小さまざまな国旗を売っている青年がいて、それが結構売れているのは驚きでした。さらに、女性集会では、紫色のWorldMarch of Womenの旗のほかに、会場からチュニジアの国旗と、西サハラの国旗、それにパレスチナの国旗が振られていて、大歓声が上がっていました。形態はどうあれ、アラブの春がまだまだチュニジアには根付いていて、周辺のアラブ諸国、およびアフリカ諸国の人々の励みになっているように思いました。

 さて、女性集会ですが、寺本さんの報告にもありましたが、400人ぐらい集まった盛大な集会でした。ほとんどがフランス語で、通訳がなかったので、よく理解できないものがありました。それでも、たまたま私が会場に入った時、」モザンビークの女性が英語で話していて、最後に「すべての女性が解放されるまで、私たち女性はcapitalistとの闘いをやめない」とアピールすると拍手がわきました。つづいてCADTMコートジボワールの女性も力強いアピールをしていましたが、残念ながらよくわからずでした。そして集会の最後には、So, so solidarite avec les femmes!(女たちと連帯)とコールがあり、大変な盛り上がりでした。また参加者はとても多彩で、男性たちも多く、特に前述しましたが、西サハラからは10人程度参加していました。

明日からは本格的なフォーラムが始まります。

ATTAC Japan 秋本

マーチの終着点(バルドー博物館前)

執着点に近づくにつれて、少し雨は小降りになってきました。私たちが終着点に着いた後も、デモ隊が次々にやってきます。

道路の北側に面して、バルドー博物館があり、ここがデモの終着点です。

その東側に隣接して国会議事堂があります。

終着点から最寄りのメトロの駅に戻っていく途中で、ブラジルのシコさんに出会いました。24日の夜には、シコさんとともに、核エネルギー問題の課題別フォーラム開催についてのワークショップ(26日)、福島の現地報告のカンファレンス(28日)の打ち合わせをしました。

日本からの参加者(フランスから駆けつけた方も含めて)も2桁になっています。いよいよ25日から本格的にWSFが始まります。




雨の中のオープニングマーチ(その2)

デモコースは、メデイナ(旧市街)の北側にある道路が何本か集まってくるバブ・サアドゥーンから西へ、ほぼ一直線に2KMくらいの距離です、道路の両側をメトロが走っていて、その線路脇を行進します。

ウクライナ問題を訴えているグループにも出会いました。

要所要所には、自動小銃を持って、黒ずくめの警官が立っています。

ATTACフランスの隊列も次第に乱れてきて、三々五々歩いているという感じになってきました。解散地点に近づいてくると、記念写真を撮っているグループもいます。写真というと、デモ途中、解散地点、帰り道で、ひんぱんに参加者から一緒に写真に入ってくれというリクエストがあり、ちょっと行っては立ち止まって、彼ら・彼女らと写真に収まりました。




 
私は、アジアからの参加者にはほとんど出会わなかったのですが、台湾と香港から来た人に会ったという日本からの参加者もいたので、何人かは来ているようでした。ATTAC Japanののぼり旗も何とか解散地点までたどり着きました。

雨の中のオープニングマーチ


24日午後は、事前に日本でチェックした現地の天気予報通りに、雷を伴う激しい雨になりました。傘や雨具を持っていない参加者は、デモ出発地点やデモ途中のあちらこちらで雨宿りしている場面も多く見られました。
当初の予定では、ブルギバ通りに集合して、マーチに出て行くはずでしたが、テロ攻撃を受けてバルドー博物館に向かうコースに変更となりました。デモコースの道路からは一般車両は完全にシャットアウトされ、雨さえなければ随分と解放感溢れるオープニングマーチになっていたことでしょう。


メトロはマーチ参加者が数多く乗り込んで、すし詰め状態。その中でシュプレヒコールが繰り返され、アラビア語のインターナショナルが歌われて、電車の中はすでにデモの盛り上がりです。


私たち日本からの参加者は、全員揃って集合地点に集まることができず、いくつかのグループに分かれて歩きました。集合地点に集まった団体から順次(勝手に)マーチに出発していきます。私のグループは、ATTACフランスの人たちと合流し、激しい雨の中をATTAC Japanののぼり旗を持って、マーチに出発しました。ATTACフランスは、チュニジアにフェリーですぐに渡れる南フランスのメンバーが多く参加しているとのことでした。



雨の中、多くの参加者は傘も差さずに行進していきます。
何せ雨が激しく、かなりの間隔を空けてデモ隊が歩いていくので、全体の状況や参加者数、どの国から参加しているかなどがさっぱりわかりません。ブラジルのグループや女性グループの行進は映像に撮ることができました。